昭和21年の南海地震
前回の南海地震は,昭和21年12月21日午前4時19分に発生しました。大阪気象台(当時)によると,有感地震の継続時間は2分で,その後も微弱な余震が続いたようです。四国,南紀,阪神地方に大きな被害を与えたほか,地震を感じた地域は,東北から九州までと広範囲にわたりました。また,高知,徳島,和歌山の太平洋岸では津波による被害も大きかったようです。
坂出市の被害
12月23日(2日後)の新聞によると,当時の坂出署管内の被害は以下のとおりです。
死者 16名
重傷 2名
軽傷 210名
家屋全壊 271戸(住家76戸,非住家195戸,うち塩田の釜屋が112戸)
家屋半壊 433戸(住家217戸,非住家216戸,うち塩田の釜屋が264戸)
当時は現在と比べ,人口も家屋の棟数もかなり少なかったようです。
古い耐震基準で建築された家屋がまだまだ残る現在,同じような地震が起きたらどのような被害になるでしょう
海岸線は10cmから20cm沈下し,西築港岸壁(現在の築港町)は崩壊して,近くの上屋も倒れ,昭和25年の復旧までその機能を失いました。
沖湛甫(おきたんぽ。現在の築港町)南岸に並んでいた遊郭も,その大半が被害を受けました。
西臨港道路(現在の県道瀬居坂出港線)のコンクリート舗装にも大きな亀裂が生じました。
林田塩田の堤防が決壊しました。