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常盤公園(ときわこうえん)

印刷用ページを表示する更新日:2024年3月25日更新

 

みどころ

 

 坂出市街の北西,宇多津町との境にまたがる聖通寺山にある公園で,JR坂出駅から車で10分ほどのところにある。山頂一帯が公園になっていて,塩飽諸島が一望できます。春にはソメイヨシノ約400本が咲き乱れ,桜の名所としても有名です。

眼下には瀬戸内海の多島美を一望でき、穏やかにきらめく海と島々にかかる瀬戸大橋の壮大さを感じられる。最も魅力溢れるこの時期に瀬戸内の美しさを実感してみてください。常盤公園桜並木

常盤公園

 

 標高116.7mの聖通寺山は,古くは海中に突出した岬だったといわれていて,旧石器時代から人々の活動の場であり,島づたいに備讃を結ぶ重要な地点であったと考えられています。また,この山は花崗岩でできているため,永年の風雨に洗われて風化,土は流出し,ところどころに岩を露出して市内の他の山々とは異なる趣をみせています。

 常盤公園は,皇紀2600年を記念して造られた公園ですが,初めは「二六公園」と呼ばれていました。昭和27年(1952年),坂出出身のときの大蔵大臣津島寿一氏が「常盤公園」と命名しました。津島寿一氏は坂出の名誉市民で,塩釜神社境内には銅像が建てられており,郷土資料館・市立体育館には氏の人格を偲ぶ遺品が展示されています。

 また,聖通寺山は,室町時代には,聖通寺城がおかれたところで,城は応仁のころ(1467年~1468年)管領細川勝元(1430年~1473年)の四天王の一人,奈良太郎左衛門元安が築城したと伝えられています。奈良氏が歴代にわたって居城しましたが,天正11年(1583年)長曽我部元親に攻略され,豊臣秀吉の四国征伐(1585年)後に,仙石権兵衛秀久・尾藤甚右衛門知宣らが入りました。
天正15年讃岐の領主に任ぜられた生駒親正も,高松城を築く前に一時ここに拠ったが,近世初期に廃城となり,今も山頂付近には戦国時代の山城特有の縄張りや空掘りの跡が見られます。

塩竃神社と久米栄左衛門通賢の銅像

久米栄左衛門銅像

 坂出は塩づくりの町として発展してきました,その塩田の生みの親ともいうべき人が,久米栄左衛門です。通賢と号して経世家,砲術家として知られる彼は,蘭学を修め,天文,測量,軍器製造などのほか実学に優れた人物です。

 時は文政7年,藩財政はゆきづまり,庶民は窮乏の生活に苦しんでいました。この時栄左衛門は人々を救おうと,遠浅の坂出沖に塩田を開くことを第9代高松藩主松平頼恕に建白。文政9年(1826年)坂出墾田の普請奉行となり,文政12年(1829年)東大浜,西大浜を含む約132haの開墾に成功しました。延べ194万人近くの人夫を動員,約2万両の工費を要した大事業であり,藩財政だけでは事業の遂行ができないことから,私財をも投じて尽くしたと伝えられています。

 文政12年,新塩田を開いたのを機に塩田の安全・繁栄を祈願して宮城県塩竃市の塩竃神社から,中湛甫の一隅に勧請したのが塩竃神社です。天保8年には,新たに社殿を明神町(現中央町)に建立し獅子頭などを奉納して一大祭典が催されるほど,坂出の市民に信仰されている神社でした。昭和39年10月,旧国道11号線(現県道33号線)の拡幅に伴って,坂出塩田を一望する聖通寺山中腹に移築されました。

 ここに坂出塩業の祖,久米栄左衛門通賢翁の銅像も建っています。

指一本でグラリ!不思議な大石ゆるぎ岩

ゆるぎ岩

 聖通寺山の中腹にある大石。数トンもある大岩だが,指一本で触れても,グラリと揺れる不思議な岩です。

 花崗岩の裂け目が長い年月の風雨で分解され上下に分かれたもので,その接点が少ないために弱い力でも揺らぐカラクリになっています。自然の驚異の一つです。

 

 

石を積みあげた珍しい古墳積石塚古墳

積石塚古墳 聖通寺山の山頂には,墳丘部に葺石のように石張りが見られ,そのうえにかなりの石を盛った特異な形をした積石塚古墳があります。 幕末にのろし場となったり,公園整備で盛り直されて,往時の形状は不明であるが,瀬戸内海を見下ろす山頂部に積石塚があることに意味があります。

 また南嶽には,讃岐を初めて統一支配した仙石秀久の居城である聖通寺山城跡や山麓には聖宝(理源大師)の学問所といわれる聖通寺があり,数々の文化財を残しています。

静かに優しい表情をたたえて聖通寺千手観音像

 聖通寺山の西麓・聖通寺に祀られている像で,頭上に十面の化仏をつけて,合掌・宝鉢の御手をはじめ脇手をあわせて42本の腕があり,両足をそろえて立った十一面千手観音であります。天衣,条帛などにややくずれた翻波のひだが刻まれているが,顔は優しく彫りも柔らかで浅い。藤原時代の様式で,藤原初期の作といわれています。像高は190cm。重要文化財に指定されています。

古代の墓制を伝える田尾茶臼山古墳

後世親鸞上人二十四輩のミニ霊場  聖通寺山の南に,丘のようにこんもりとした茶臼山があります。

 この頂上には,全長約80m,高さ約8mの大きな前方後円墳があり、中讃地域で最大級の古墳で,前方部には段築のあとが残り,葺石やはにわ片なども見られます。その立地,形状から古墳時代前期に築かれたと考えられています。 

 墳丘付近のなだらかな所には,後世親鸞上人二十四輩のミニ霊場が祭られ,石仏が並んでいます。