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沙弥島(しゃみじま)

印刷用ページを表示する更新日:2021年5月17日更新

みどころ

 島内には,主要な史跡などをめぐる快適な遊歩道なども整備されています。 瀬戸内の四季の風光を満喫しながら,ゆったりと,この万葉の島ならではの歴史文学ウォーキングを楽しむことができます。


 沙弥島はかっては坂出港の沖合約4kmに浮かぶ,東西160m,南北930mの小島でした。

昭和42年(1967年)番の州埋立事業で陸続きになりましたが,今でも『沙弥島』と呼んでいます。

ナカンダ浜

沙弥島の北東面にあるのナカンダ浜は,史跡の浜ともいえる小じんまりした海岸であります。満潮の時には,石畳の遊歩道のすぐ横まで海面がせりあがり,澄んだ水に小魚が並んで泳ぐのが見えます。

瀬戸内海と瀬戸大橋を背景に1本のエノキが立つ景色は、沙弥島を代表する風景です。

 

ナカンダ浜から少し歩くと「ナカンダ浜展望台」があり長大な瀬戸大橋を眺めることができます。

沙弥島から眺める讃岐

 

柿本人麿碑

柿本人麿碑昭和11年,坂出出身の作家,中河与一氏の手で,ナカンダ浜に「柿本人麿碑」(中河与一.撰文,川田順書)が建立されたが,このほど万葉歌集ゆかりの人麻呂岩のあるオソゴエの浜に移されました。
 「昔,あらしの時にこの石のところに,海で亡くなった人がよせられたんじや。帰らぬ人のおる家では,毎日毎日ここまで見に来て待ってのぉ。それを見た柿本人麻呂が,悲しみを歌に詠んだといわれとる。」
浜で出合ったおじいさんが,そう教えてくれました。
「波の音の 繁き浜辺を敷きたえの 枕になして荒床に ころふす君が家知らば 行きても告げむ妻知らば 来も問はましを 玉鉾の道だに知らず 鬱悒しく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは」
告げるすべなき死者への悼みと,死者の帰りを待つであろう妻子への思いやりを詠い,人麻呂の崇高な人間愛を歌う長歌と短歌があります。ここに沙弥島が,万葉の島といわれる所以があります。

愛恋無限の碑

愛恋無限の碑

 もう一基,沙弥島には中河与一氏の『愛恋無限』文学碑があります。
 坂出市出身の作家・中河氏は,小説『愛恋無限』の最終舞台を沙弥島に選びました。この小説は昭和10年12月から昭和11年4月まで,朝日新聞に連載された不朽の名作。愛と無限の美をたたえているが,中河氏が幼少の頃たびたび訪れたこの島での人麻呂の事跡と人間愛に深く感銘していたからでしょうか。  碑は昭和52年の建立。庵治石で高さ1.2m。谷口吉郎氏によってギリシャ神殿風に設計され,碑面(愛恋無限)の備前焼陶板は,人間国宝・藤原啓氏の作であります。

ナカンダ浜

ナカンダ浜では,縄文式土器,サヌカイト製石器が出土し,製塩に使用されたと考えられる古填時代前~後期(4~7世紀)の師楽式製塩土器も出土しています。 また島の南側,番の州埋立地に最も近い権現山(28m)の西端に,古墳時代中期頃の方墳千人塚があり,その付近には,9基にのぼる古墳が群集しています。県指定の史跡で,沙弥島の出身といわれる理源大師聖宝(839年~909年)の母の墓とこの島では伝わっています。聖宝は東密小野流の祖で,京都醍醐寺を開いた名僧です。
 ほかにも,沙弥島には,いくつかの横穴式石室墳がありますが,そのうちナカンダ浜の西の山にある白石古墳は,昔の姿を残しています。眼下に古代製塩遺跡ナカンダ浜を見下ろし,須恵器・金環などこの浜から出土する師楽式土器が副葬されていた点は注目です。

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沙弥島へのアクセス

JR坂出駅前から市営バスで約15分