名誉市民
本市の名誉市民条例は、昭和38年3月香川県下ではじめて制定され、5名のかたに名誉市民の称号を贈っています。
故 島田 恭平氏 (しまだ きょうへい)
元市長
昭和38年3月 名誉市民称号を贈呈
昭和37年10月 逝去。
島田氏は、明治14年11月に坂出町で生まれ、大正3年5月に33歳の若さで坂出町長に就任しました。以来、昭和36年7月任期満了で退職されるまで40年の長きにわたり町政・市政の発展に貢献され、坂出の基礎を築かれました。
昭和30年11月自治功労者として藍綬褒章の受賞されるなど数々の受賞の栄誉に浴され、また、その人格も円満高潔で市民から慈父のごとく慕われたものです。
島田氏の大いなる功績をたたえ、本市は第1回のはえある名誉市民の称号を贈りました。
故 津島 寿一 氏(つしま じゅいち)
元参議院議員・大蔵大臣
昭和42年1月 名誉市民称号を贈呈
昭和42年2月 逝去。
津島氏は、明治21年1月、坂出町に生まれました。
大正から昭和初期にかけて、英・仏・米の駐在財務官として活躍し、その敏腕ぶりは広く海外に知れわたったものです。
帰朝後は、大蔵省理財局長をふり出しに、大蔵大臣、国務大臣を歴任、また、参議院議員として国政に貢献される一方、経済外交、金融等の国際会議の代表、体育、交通、産業等の全国団体の会長としても活躍されました。
これらの輝かしい功績が高く評価され、昭和42年2月、正三位勲一等旭日大綬章を授与されています。
故 花岡 タネ 氏(はなおか たね)
私立和洋裁縫女学校創立者
昭和42年7月 名誉市民称号を贈呈
昭和42年8月 逝去。
花岡氏は、明治11年1月、三豊郡山本町に生まれました。明治40年5月弱冠29歳で私立和洋裁縫女学校(同42年坂出実修女学校と名称を変更、現坂出第一高等学校)を創立。
それ以来、実に60年間、89歳の高齢に至るまで教育現場の第一線で活躍し、その生涯を私学教育、とくに女子教育の振興に捧げてきました。その功績は高く評価され、県内の私学の祖として今も多くの尊敬を集めています。
昭和33年5月に藍綬褒章を、さらに昭和39年11月には勲四等瑞宝章を授与されました。
故 番正 辰雄 氏(ばんじょう たつお)
元市長
平成元年4月 名誉市民称号を贈呈
平成元年4月 逝去。
番正氏は、大正5年9月15日、中央町に生まれました。
昭和23年坂出市に奉職、建設課長、助役などを務めたあと、昭和48年7月、第10代の市長に就任しました。それ以来連続4期16年の長きにわたり市長を務め、林田港湾整備、塩田再開発、番の州企業の育成などに尽力。
瀬戸大橋には、着工から開通までかかわり、受け皿づくりに貢献されました。
生涯の大半を地方自治の振興と市勢の発展にささげ、その功績を高く評価され、平成元年4月に従五位勲四等旭日小綬章を授与されました。
松浦 稔明 氏(まつうら としあき)
元市長
平成24年7月 名誉市民称号を贈呈
昭和13年12月8日生まれ。
松浦氏は、平成元年6月、第14代の市長に就任しました。それ以来、連続5期20年の長きにわたり、坂出市長として優れた見識と行動力により、今日の坂出市発展に大いに貢献されました。特に、他市に先駆けた定員適正化計画など、独自の行財政改革を推進するほか、平成8年度から本市の最重要施策として取り組んだ坂出駅周辺整備主要プロジェクトにより、四国の玄関都市の顔を創りあげました。
市長在任中には全国市長会理事や香川県市長会会長などを歴任されたほか、平成24年5月に香川県知事表彰を受賞、さらに平成25年5月には旭日中綬章を授与されました。