昔の写真(大正)
大正時代
新浜方面(大正年間)
たぶん,旧坂出商業学校附近から撮影されたものだろうと思われます。正面の山は讃岐富士,手前は讃岐鉄道(現JR)が走っています。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
沖堪甫外海(大正年間)
沖堪甫(両景橋北)の外海を撮影したものです。
正面には,瀬居島が写っています。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
香川県女子師範学校(大正11年)
香川県女子師範学校:国立香川師範学校(高松)が,明治45年,女子部を分離し,香川県女子師範学校として坂出に置いたのが始まりです。
併設校として,大正6年,坂出高等女学校(現在の香川県立坂出高等学校)が開校しました。写真にも写っている白い塀は,現在も坂出高校の周囲に,当時のまま残っています。
正面の山は,飯野山(讃岐富士)です。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
新浜の太鼓台,内浜を行く(大正11年)
タイトル通り。
たぶん,坂出八幡神社の秋祭りでしょう。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
坂出公会堂(大正11年)
この建物は,もともと綾歌郡公会堂でしたが,綾歌郡役所の事務の閉鎖に伴い,坂出町に移管し,大正15年6月30日に坂出公会堂となりました。現在,この地は坂出市立病院が建っています。
写真正面の山は飯野山(讃岐富士),右側は角山。
写真下の線路は,讃岐鉄道(現JR予讃線)。
写真左側奥は,現在の坂出高校です。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
西大浜十九番(大正11年)
西大浜十九番から北に向けて撮られた浜曳きの写真です。浜曳きとは,海水をかけて水分の蒸発を促進するために行う作業です。
写真右上の島は瀬居島です。正面の建物の向こうは瀬戸内海で,石炭運搬船の帆柱が何本も確認できます。現在ここは,埋め立てられて浜街道や住宅等になっています。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
写真所蔵:坂出市郷土資料館
坂出町全景(大正11年)
この年,綾歌郡立綾歌商業学校が県に移管し,香川県立坂出商業学校になりました。このほか,坂出町役場を新築工事し,鎌田共済会図書館が新築開館し,坂出駅が改修落成するなどの出来事がありました。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
坂出市立図書館より北を見る(大正11年)
坂出市立図書館(現在は鎌田共済会郷土博物館)から北を見ています。真正面に見えるのは瀬居島で,その右側に写っている建物は,日清製粉坂出工場です。図書館の隣(北側)は,鎌田醤油です。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
坂出郵便局(大正12年3月)
坂出郵便局は明治5年,坂出村中州加に伝逓所を設け,人夫数名を置き,官用の書状・貨物を臨時逓送したのが始まりです。
写真は,全局員の記念撮影でしょうか。
写真所蔵:坂出市郷土資料館
以下,郵便関係を年表にまとめました。
明治8年 | 坂出郵便取扱所になり,集配事務を開始 |
13年 | 西州加に移転し,坂出ほか12ヶ村(今の市内西部と飯山町)を所轄。 同じ頃,坂出村役場も西州加に移転 |
14年 | 貯金事務開始 |
15年 | 為替貯金事務取扱を開始 |
17年 | 高屋村に高屋郵便局設置(今の市内東部を所轄) |
19年 | 東通町に移転 |
24年 | 坂出町東州加に移転 |
25年 | 坂出郵便電信局外国為替取扱開始 |
26年 | 小包発着取扱開始 坂出三等郵便電信局となる |
34年 | 助局長宅に移転 |
36年 | 坂出郵便電話局を坂出郵便局と改称 |
39年 | 年賀郵便制度確立 |
40年 | 電話事務取扱開始 |
41年 | 公衆電話設置 |
大正10年 | 二等局に昇格 |
11年 | 無集配局鴨川郵便局開局 |
12年 | 東通町に新築移転 |
13年 | 従来混用されていた「阪出」を「坂出」に統一使用 |
15年 | 林田郵便局開局 |
昭和4年 | 富士見町郵便局開局 |
8年 | 金山郵便局開局 |
9年 | 王越郵便取扱所開所 |
10年 | 明神町に海岸通り郵便局開局 |
14年 | 川津郵便局開局 |
15年 | 年賀郵便制度一時停止 |
16年 | 瀬居郵便局開局 |
18年 | 西通町郵便局開局 |
23年 | 与島地区の郵便物集配業務,坂出局に編入 |
〃 | 年賀郵便制度復活 |
24年 | 櫃石簡易郵便局開局 |
〃 | お年玉付き郵便はがきの発行 |
39年 | 市役所前に北新通郵便局開局 |
43年 | 坂出郵便局,市役所前に新築移転 |
国鉄坂出駅(大正末期)
現在JR坂出駅のところです。写真を観る限り,たいへん賑わっているようです。当時は「国鉄讃岐線」で,大正に入り「国鉄讃予線」になり,昭和に「国鉄予讃線」・「国鉄予讃本線」となりました。
写真所蔵:坂出市郷土資料館