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昔の写真(昭和43年)

印刷用ページを表示する更新日:2006年12月1日更新

昭和43年

川津町東山(昭和43年)

 現在この辺は,社宅や民家等が密集しています。
 写真左中央は,川津小学校の校舎と校庭です。
川津町東山の航空写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

坂出市立病院上空(昭和43年)

 坂出市立病院上空から撮った写真です。
 この年,国鉄予讃線を走っていた蒸気機関車が姿を消し,番ノ州埋め立て工事により,瀬居島が陸続きとなるなど,様々な出来事がありました。
写真説明 (右が北)
 中央・・・・坂出市立病院。
 上側・・・・県道貞光線。
 左側・・・・香川大学付属坂出小学校。
 右側・・・・国鉄予讃線。(現在JR線)
坂出市立病院上空から撮った写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

堅登り運河上空(昭和43年)

  現在は,写真右側にさぬき浜街道が開通して,両景橋もありますが,まだ姿形もありません。
 東西大浜の塩田(昭和47年廃田)があるだけです。
 写真中央は,日清製粉坂出工場ですが,当時は,国鉄坂出港線が存在していて,貨物列車の一部は,日清製粉まで出入りしていました。堅登り運河上空から撮った写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

飯山町上空より坂出方面を観る(昭和43年)

  このころは,当然高速道路もありませんし,番ノ州が完成した頃です。
 正面の山は飯野山(讃岐富士),真ん中の建物は香川県立飯山高等学校です。
飯山町上空より坂出方面を撮った写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

府中上空から林田を望む(昭和43年)

  府中町石井上空から,林田・瀬戸内海を遠望したものです。。
 真ん中の道路は,国道11号線(現在は県道33号線),右の山は雄山,左は城山(国の史跡),国庁跡,下には綾川,府中小学校が写っています。
府中上空から林田を撮った写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

坂出市街 市立病院周辺(昭和43年)

  昭和43年の市立病院周辺の様子です。
 市立病院,香風園,坂出高校等が,今と変わらず写っています。
市立病院周辺の航空写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

坂出市街地[東部](昭和43年)

  坂出市が塩田の街から工業都市に変革しようとしている時期の市街地です。
 まだこの時は,坂出港まで線路が走ってました。坂出駅はいつも貨物列車の連結音がして賑やかでした。
坂出市街地の航空写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

長ノ提より北を望む(昭和43年)

  国鉄(現JR四国)坂出駅より東上空から撮っています。
 左側に市役所や回生病院,それと電信電話公社などが見えます。 上の方は,塩田の東大浜です。
 当時,国鉄坂出駅から延びる坂出港線が存在していました。
長ノ提上空より北を撮った写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

市街地上空から鎌田池遠望(昭和43年)

  当時,鎌田池南の坂出中学校も池でしたし,坂出市の大切な貯水池でした。国道11号線バイパスもなく,今に比べれば,交通手段が限られていました。
 しかし,当時の人口より数千人,現在の人口の方が減少しています。
市街地上空から鎌田池遠望を撮った写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

埋立工事中の番ノ州(昭和43年)

  番ノ州埋立地は,昭和40年から埋立工事に着手し,昭和40年代後半にはほぼ完成しました。
これにより,昭和42年に沙弥島,昭和43年には瀬居島が,坂出市と陸続きとなりました。
 埋め立て前は,番ノ州を航行する船舶は,遠浅のためたびたび座礁していたようです。
 写真中央の工場は,三菱化学坂出工場で,埋め立てが徐々に完成するにつれ,多数の企業が進出しました。
埋立工事中の番ノ州の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

坂出市街(笠指通り・笠指方面)(昭和43年)

 現在は,国鉄が民営化され高架になり,倉敷紡績もサティになり,都市化が進んでます。
 笠山,金山,常山,郷師山,城山が写ってます。
笠指通り・笠指方面の航空写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

港頭地帯(昭和43年頃)

  昭和43年頃の築港町(西築港)です。
 写真上には,番ノ洲の埋め立て中で,川崎重工業や三菱化学等が操業を開始しています。
港頭地帯の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

西埠頭(昭和43年頃)

 主に西大浜が写った写真です。
 現在は,大幅に風景が変わっており,住宅地 等はまだありません。
西埠頭の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館