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讃岐遍路道 根香寺道

印刷用ページを表示する更新日:2013年10月1日更新

讃岐遍路道-根香寺道-

遍路道と「お遍路」

 四国八十八箇所霊場を巡る遍路道(へんろみち)は、四国4県にまたがり、総延長は実に1,400kmにもおよぶ壮大な巡礼道です。

 「お遍路」がいつから始まったのかは定かではありませんが、第80番札所国分寺の本堂には、永正10(1513)年に書かれた「四国中辺路,同行只二人納申候」という墨書(ぼくしょ)銘が残っており、中世末にはすでに遍路の文化があった可能性があります。

 お遍路さんが歩く遍路道沿いには、道標や丁石などの石造物を始めとした数多くの文化財が残る他、沿道の住民たちによる「お接待(せったい)」といった心の文化が、長い歴史の中で創られ、受け継がれてきました。

 しかし今では多くの道が舗装されて車道となり、多くの場所で側にあったはずの石造物も姿を消しつつあります。

 ただそのような中でも、古道の景観を色濃く残し、石造物も良好に残っている場所が少なからずあるのです。

讃岐遍路道-根香寺道-

根香道の概要

 香川県には約185kmの遍路道がありますが、その中でも第81番札所白峯寺(しろみねじ)から第82番札所根香寺(ねごろじ)に至る遍路道「根香寺道」(その道の先にある札所の名前を冠にする、という前例に従い、この呼称となりました)は、舗装されていない山道であり、道沿いには道標、丁石も多く残っており、歴史的な景観を良くとどめています。

根香寺道

成立と価値

 この根香寺道は現状で約5kmあるのですが、澄禅(ちょうぜん)により記された『四国遍路日記』(承応2(1653)年)には、「白峰ヨリ五拾町往テ根香寺ニ至ル」との記述があります。また多くの道標を建立した真念(しんねん)の『四国遍路道指南(みちしるべ)』(貞享4(1687)年)にも「これより根香寺まで五十町」と書かれています。
 一町=約109mとなりますので、これらの記述は現在の遍路道の延長と合致します。このことから、少なくとも江戸時代前期には今と同じ道が使われていたことがうかがえます。

 このように、「根香寺道」は歴史的には江戸時代前期まで遡ることができ、景観面でも昔の状態を良く残していると考えられるため、その価値を認められその一部が平成25年10月17日に国の史跡に指定されました。
※平成25年10月現在での指定範囲は約2.3km(そのうち約1.2kmが坂出市)

パンフレットはこちら → 讃岐遍路道-根香寺道- [PDFファイル/4.04MB]

根香寺道周辺の文化財

道標(どうひょう)

 遍路道に付属する最も重要な石造物といえるのが道標です。
 これは主に道の分岐などに建てられ、札所(遍路道)はどちらかを示したものです。
 多くの道標には手の形などで矢印が彫り出されており、次の札所までの距離を記したものもあります。

 道標は角柱形をしたものが多いのですが、お地蔵さんの形をとっているものも少なくありません。大きさ、書かれた内容についても様々であり、これは色々な人々が建立したことによるものと考えられます。道標の建立者としては、中務茂兵衛(なかつかさ・もへい)や真念(しんねん)等が特に有名です。

道標
※写真は白峯寺山門前にあるもの

丁石(ちょうせき)

 道標と同じく遍路道にとって重要な石造物です。
 道標が道の方向を示すものであったのに対し、こちらは道の距離を示したものです。
 丁石という名称も、一丁(一町)=109mごとに設置されたことから付けられています。

 道標が多くの遍路道沿いで見かけられるのに対し、丁石は特定の遍路道、特に山間部にある遍路道にのみ集中して見かけることができます。
 形や大きさも道標のように大きな違いはなく、どれも船形の石に地蔵が彫り出されているといったものです。

丁石

白峯寺笠塔婆(しろみねじかさとうば)

 香川県の有形文化財に指定されている石造物です。中央の円形部は「摩尼輪(まにりん)」というもので、ここに「下乗」という文字が刻まれています。これは、ここから先は聖域になるため、参拝者は乗り物(馬、輿など)から降りるように指示したものです。

 この笠塔婆には塔身の左側に「元応三季二月十八日」、右側に「願主金剛仏子宗明敬白」と刻まれており、元応3(1321)年に「宗明」という人物によって建立されたことが分かります。

 この様な「下乗」と書かれた石造物は「下乗石(げじょういし)」と呼ばれ、かつては他にもあったようですが、今ではこの笠塔婆のみが原型をとどめています。

 隣に建っている同じく下乗と書かれた大きな石は、後に高松藩によって天保7(1836)年に建立された、添碑(そえび)と呼ばれるもので、笠塔婆に小屋を建て保存したことが記されています。

笠塔婆

閼伽石(あかい)

 『白峯寺縁起』によると、弘法大師空海が白峯寺を開基する際に掘ったものとされています。
 約1m四方の石の井戸には常に水がたたえられており、側に建つ石柱の右側には「岩にせく 阿か井の水のわりなきは 心住めとも 屋とる月哉 西行法師」と、かつて崇徳上皇の鎮魂のため白峰を訪れた、西行法師の歌が刻まれています。

あかい
※画像左側の石柱の手前が井戸

十九丁目付近

 第80番札所国分寺からの遍路道との三叉路がちょうど19丁(根香寺から19×109m=約2km)になります。
 ここには石垣で形作られたやや広い平坦地があり、香川県による発掘調査の結果から、19世紀前半の小さなお堂と休憩所のようなものがあったと考えられています。

 他にも一際目を引く高い場所に据えられたお地蔵さんや、中務茂兵衛の道標、遍路墓などの石造物が見られます。

十九丁

足尾大明神(あしおだいみょうじん)

 通称「アシバサン」と呼ばれている、足の神様をお祀りした神社で、ぞうり等が奉納されています。
 昔この付近に根香寺末寺の吉水寺(よしみずじ)があり、その鎮守社(ちんじゅしゃ)(お寺を守るための神社)であったと言われています。

 天保3(1832)年の石仏、天保12(1841)年の宝筐印塔(ほうきょういんとう)、14丁を示す丁石などが見られます。

足尾大明神

三丁目付近

 第83番札所一宮寺(いちのみやじ)へと向かう遍路道との三叉路は、三丁(根香寺から3×109m=約330m)付近となります。ここにある道標には「是ヨリ一宮迄二里半」と刻まれています。

 また左側面には「崇徳天皇御遺詔地千尋嶽是ヨリ一丁」とあります。この千尋嶽(ちひろだけ)は、崇徳上皇がその風光明美なことを気に入り、自身の御陵(=お墓)を造るように言った場所と言われています。
※実際の御陵は白峯寺の隣にあります。

三丁目付近

通行等についての注意事項

 ・山道ですので、岩の上や落ち葉の溜まったところなど、滑りやすいところがあります。

 ・トイレは両寺院や県道に出たところなどにしかありません。

 ・最近イノシシがよく出没するようになっています。

 ・ゴミは必ず持ち帰りましょう。

 ・両寺院での駐停車等は、必ず寺院の規則に従い、両寺院および他の参拝者に迷惑をかけないようにしてください。

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