塩業のあゆみ
印刷用ページを表示する更新日:2006年12月1日更新
坂出の塩づくり
瀬戸内地方では,古くから塩づくりが盛んでした。 香川県沿岸各地の遺跡からは弥生・古墳時代の製塩土器が出土するなど,塩づくりの跡をたくさん見ることができます。
そして,奈良時代から江戸時代へと時代が移り変わっていく中で,製塩方法もずい分と進歩し,やがて,一人の塩づくりの天才があらわれました。 その人の名は,久米栄左衛門(通賢)です。(右図)
久米栄左衛門は,安永9(1780)年,現在の引田町で生まれ,27歳で高松藩の測量方となりました。坂出の海岸が塩づくりに適していると考えた栄左衛門は,文政7(1824)年に塩田と田畑の開墾を計画,3年半の歳月と多くの人手により,現,坂出市街北部に広大な「入り浜式塩田」を完成させたのです。 この塩田は技術的にも優れていたため,「久米式塩田」と呼ばれ,その後の塩田開発のモデルとなりました。当時の藩主松平頼恕はその栄左衛門の業績をたたえて,その当時の塩田の中央に位置した天満社境内(現・坂出商工会館裏)に石碑を建て,讃岐の塩づくりの歴史を永く後世に伝えました。
坂出の塩業史
西暦 | 和暦 | 主な出来事(一部,県内・国内含む) |
---|---|---|
土器による製塩が行われる | ||
300年頃 | 自然浜を利用した揚浜塩田による製塩が行われる | |
1200年 | 土釜,石釜,金釜が煮詰めに使われる | |
1300年 | 堤防のある塩田があらわれる | |
1600年 | 慶長5年 | 入浜式塩田の築造が始まる |
寛永年間 | 高屋浜を三野某が築造する | |
1745年 | 延享2年 | 宇多津角ウ,古浜を今田八五郎が築造する |
宝暦明和頃 | 木沢浜を高松藩が築造する | |
1829年 | 文政12年 | 坂出東,西大浜を久米栄左衛門が築造する |
1840年 | 天保11年 | 与島浜,本島浜を鎌田卯平が築造する |
1868年 | 明治元年 | 塩の輸入が始まる |
1874年 | 7年 | 坂出阿河浜を滝虎三郎が築造する |
1880年 | 13年 | 坂出に南北浜問屋が設立される |
1888年 | 21年 | 坂出明治浜を津島卯平が築造する |
1890年 | 23年 | 林田浜を林田塩産(株)が築造する |
1891年 | 24年 | 宇多津丸ウ浜を三木五郎らが築造する |
1894年 | 27年 | 大阪に塩取引所が設置される |
1896年 | 29年 | 宇多津沖桝浜を浜を三木五郎らが築造する |
大藪旧浜を渡辺渡が築造する | ||
1900年 | 33年 | 坂出本条浜を亀井菊次郎が築造する |
1901年 | 34年 | 金山浜を金山塩田(株)が築造する |
1903年 | 36年 | 坂出總社浜を總社塩産(株)が築造する |
1905年 | 38年 | 塩専売法が施行される |
1908年 | 41年 | 塩の元売捌人,小売人が指定制度となる |
宇多津大東浜を宇多津大東塩田(株)が築造する | ||
乃生浜を乃生塩産(株)が築造する | ||
1910年 | 43~44年 | 第一次塩業整備(廃止塩田1770ha) |
1918年 | 大正7年 | 塩の専売が収益主義から公益主義へ転換される |
1919年 | 8年 | 瀬戸内の塩運送元請業六社が合同し日本食塩回送(株)となる |
1921年 | 10年 | 各地で塩田の小作争議が頻発する |
1927年 | 昭和2年 | 金山新浜を金山新塩田(株)が築造する |
1928年 | 4~5年 | 第二次塩業整備(廃止塩田1159ha) |
1931年 | 6年 | 塩の量目単位が「斤」から「kg」になる |
1934年 | 9年 | 戦前で最高の塩生産高が達成される(68万トン) |
1937年 | 12年 | 坂出,宇多津,林田等で合同機械製塩の導入をめぐって小作争議 |
1941年 | 16年 | 塩業組合連合会,塩業組合中央会が設立される |
1942年 | 17年 | 塩の配給割当制が実施される |
1944年 | 19年 | 苦汁の専売制が施行される |
塩の販売価格を都道府県ごとに統一される | ||
1945年 | 20年 | 自家製塩制度が実施される |
1947年 | 22年 | 全日本塩業労働組合総連合が結成される |
塩の賠償価格が全国一本建てとなる | ||
1949年 | 24年 | 日本専売公社が発足される |
自家製塩制度が廃止される | ||
1950年 | 25年 | 日本塩学会が結成される |
1953年 | 28年 | 塩業組合法が施行される |
全国の製塩工場がすべて真空式または加圧式となる | ||
1954年 | 29年 | 苦汁の専売制が廃止される |
1955年 | 30年 | 紙袋包装塩(上質塩25kg)の販売が開始される |
1957年 | 32年 | 坂出沖の浜を坂出塩業(株)が築造する |
1958年 | 33年 | 塩田の流下式転換が殆ど完了する |
1959年 | 34~35年 | 第三次塩業整備(廃止塩田2005ha) |
1960年 | 35年 | 塩収納限度量制度が実施される |
1961年 | 36年 | 小袋詰包製塩(食塩600g,3.3kg)の販売が開始される |
1971年 | 46年 | イオン交換膜法による7企業が選定される |
46~47年 | 第四次塩業整備(廃止塩田2251ha) | |
1972年 | 47年 | 全国の塩田がすべてなくなる |
販売特例塩制度が実施される | ||
1973年 | 49年 | 専売公社塩業資料館が開設される |
讃岐塩業(株)が操業を開始する | ||
1996年 | 平成 8年 | 専売公社(JT)塩業資料館が閉鎖される |
1997年 | 9年 | 塩専売法が廃止される |
坂出市塩業資料館が開館する |
坂出の塩田地図
番号 | 名称 | 築造年 | 築造者 | 摘要 |
---|---|---|---|---|
1 | 沖ノ浜 | 昭和三十三年 | 坂出塩業組合 | 昭和四十一年廃止 |
2 | 西大浜 東大浜 | 文政十年 文政十二年 | 久米栄左衛門(通賢) | |
3 | 綾井浜 | 慶応元年 | 綾井松之助 | 久米通賢墾田の荒地を塩田に改造したもの。 |
4 | 御供所浜 | 天明七年 | 宮武清八 | 宮武新開の北に築造されたもの。 |
5 | 中 浜 | 慶長~寛永 | 播州の移民により寄州を堤防として築造された塩田で坂出墾田により文政十二年廃止。 | |
6 | 岡 浜 | 元禄頃 | 中浜の東にあった宗徳浜の壊滅により改めて築かれたもので,文政十二年一部廃止され,昭和四年に全面廃止。 | |
7 | 明治浜 | 明治二十一年 | 津島卯平 | 久米通賢墾田の中新開の一部を,塩田に改めたもの。 |
8 | 金山浜 | 明治三十四年 | 都崎秀太郎 | 久米通賢墾田の江尻新開の一部を塩田に改めたもの。 |
9 | 亀井浜 | 明治三十三年 | 亀井菊次郎 | 嘉永四年本荘和太右ヱ門築造の本条新田を改めて塩田としたもの。 |
10 | 金山新塩田 | 昭和二年 | 金山新塩田KK | |
11 | 阿河浜 | 明治七年 | 滝 虎三郎 | |
12 | 林田浜 | 明治二十四年 | 中条六三郎 | |
13 | 総社浜 | 明治三十五年 | 総社塩産KK | |
14 | 大番浜 | 明治三十六年 | 香川与一 | |
15 | 大藪浜 | 明治三十一年 | 大藪塩田KK | |
16 | 中桝浜 | 明治二十二年 | ||
17 | 高屋浜 | 寛永頃 | 三野家 | |
18 | 旧青海浜 | 不詳 | 天保七年頃廃止 | |
19 | 浜崎浜 | 大正十年 | 浜崎嘉次平 | 松山養魚地を改修して塩田としたもの。 |
20 | 松浦塩田 | 明治三十六年 | 松浦伊平 | |
21 | 乃生塩田 | 明治四十一年 | 乃生塩業KK | |
22 | 木沢浜 | 宝暦八年 | 国方市郎右ヱ門(高松藩) | |
23 | 与島浜 | 天保十一年 | 鎌田重郎右ヱ門 | 現在:与島PA第2駐車場 |
24 | 沙弥浜 | 明治六年 | 現在:瀬戸大橋記念公園 | |
25 | 江尻浜 | 不詳 | 文化以前綾川洪水により壊滅。 |