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ぶんぶんレポ「~讃岐三白を超えた?~幻の特産品麦稈真田」

印刷用ページを表示する更新日:2016年3月10日更新

「レキブンコウ」とは「坂出歴史文化講座」の略で、坂出の歴史や文化芸術をいろいろな方法で味わっていただくための講座を不定期でおこなっています。内容についても、石、ササユリ、塩、料理など、さまざまなジャンルに挑戦してきました。そして今回のテーマはなんと、「麦稈真田(ばっかんさなだ)」です。

~讃岐三白を超えた?~幻の特産品「麦稈真田ばっかんさなだ」

麦稈真田、と聞いて、皆さまどのようなものをイメージされるでしょうか?

そもそも「ばっかんさなだ」と読めなかった、という方も少なくないでしょう。

逆に、懐かしいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

これが麦稈真田です!

麦稈真田三平

これだけ見てもいったいなんなのか想像しにくいかと思いますので、こちらもご覧ください!

麦稈帽子

そう、「麦稈真田」とはなんと麦わら帽子の材料なのです。

そもそも麦稈とは、麦のクキを日に干したもの、つまり麦わらのことです。
真田、というのは組み紐状のものをさします。
戦国時代の武将、真田昌幸が内職で作って売っていたことからこう呼ばれています。

麦稈真田とはつまり、麦わらをひも状に組んだものなのです。

今回はこの麦稈真田について、その作り方から歴史上で果たした役割まで、郷土史家の谷本智たにもとさとし先生にたっぷり解説していただきました。

講師写真

麦稈真田いろいろ

上の写真は左から、「七猫しちねこ」「五菱ごびし」「四菱しびし」「三平さんぴら」の順番で並んでいます。

麦稈真田には、いくつかの種類があり、組むわらの本数によって呼びわけられます。

ただし、一番右端だけは「経木真田きょうぎさなだ」といって、麦わらではなく薄く削ったツゲの木を組んだものです。

工業的に大量に生産できるため、麦稈真田の安価な代替品として利用されます。

さて、この麦稈真田、どうやって麦わらから作るのでしょうか?

麦わら

こちらが原料となる麦わらです。
ただ、すべてが麦稈真田になるわけではなく、穂の部分を除いて、上から三節目くらいまでしか使いません。

麦稈はさみ

これは「麦稈鋏」です。

これで麦わらを適度な長さに切ります。

稈箱

切りそろえた麦わらを太さごとに揃えて「稈箱かんばこ」に仕分けします。

ツキワリ1

不思議な形状の道具ですね。
これは「ツキワリ」といって、太い麦わらを細く割るための道具です。

ツキワリ2

下から見るとこんな感じ。
ここに麦わらを通します。

ミトリ

これは「ミトリ」という道具で、これで麦わらをぺちゃんこにしてしまいます。
すると麦わらが平たく、そしてしなやかになるので、麦稈真田を組みやすくなるのだそうです。
何度かかけてしなやかさを調整していきます。

ちなみに、本当は綿の実を取る道具「実取り」なのですが、そのままの形で麦稈真田作りに転用されています。

掛框(かけかせ)

組み始めると、こちらの道具が活躍します。
これは「枷枠かせわく」と言って、組み終わった麦稈真田を巻きつけていく道具です。
だいたい50mほど組むと完成です。

四菱完成

今はめっきり見る機会がなくなり、生産されなくなってしまった麦稈真田。


しかし、明治時代には県内各地で競技会が開催されるほどメジャーな内職だったのです。
なぜそんなにたくさん作られていたのでしょうか?

谷本さんによると、坂出で麦稈真田が流行した理由としては……

1.家で簡単に作れる

2.誰でも作れる

3.きれいな麦わらがたくさん取れる

4.高値で売れ、副業として魅力があった

などが理由として考えられるそうです。

 

麦稈真田は保護・奨励されることとなり、指導者の育成、同業組合の結成や規格の統一など、品質を維持する取組も行われていたそうです。そのおかげで一大産業となった麦稈真田は、農家の生活向上にとても貢献したようです。

しかし、大正末期頃から経木真田や中国などで作られる安価な製品に押されていき、輸出が減少していきました。そのため、徐々に生産も減退していき、昭和15年頃に太平洋戦争が起こったことで完全に消滅してしまったそうです。

今はまったく注目してもらえない麦稈真田ですが、一時期は讃岐三白を超えるほど生産されていたというのですから驚きです。

ちなみに、先に紹介した麦稈真田や、麦稈真田を作る道具は、坂出市郷土資料館に展示しています。興味を持たれた方は、一度覗いてみてはいかがでしょうか?

平成26年