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ぶんぶんレポ「親子de塩no体験教室」をレポート!

印刷用ページを表示する更新日:2015年12月2日更新

坂出の文化財や文化芸術をレポートしている「ぶんぶんレポ」。

今回のレポートは、「親子de塩no体験教室」です。

 

集合場所は大屋冨町にある坂出市塩業資料館。
坂出の塩づくりの歴史について、パネルや道具を展示している資料館です。

塩業資料館外観

【塩づくり実験】

まずは塩づくりに挑戦です。
「海水」と「かん水」をそれぞれ200mlずつ鉄鍋に入れていきます。

計量カップ

「かん水」とは、ここでは海水を濃くした塩水のことをさします。海水に含まれる塩分の量は約3パーセントですが、かん水はその6倍(18パーセント程度)の濃さになっています。

沸騰したあと弱火に戻し、ヘラで鍋のふち側から中心にかき寄せるように混ぜていきます。

鍋をかきまぜる作業鍋の底にたまる塩の結晶

10分くらいすると水分が蒸発し、「かん水」の鍋の底から結晶が次々と出来てきました。

一方「海水」の方は、強火にしたままにも関わらず、一向に塩が出てくる気配がありません。
ずっと沸騰し続けています。

沸騰している海水

しばらく煮詰め続けたところ、出来た塩がこちらです。

塩くらべ

左が「海水」、右が「かん水」から出来た塩。
驚くくらい、かん水の方が、早くたくさん塩が出来ました。

ところで、「かん水」はどのように作られているのでしょう。
講師の説明を聞きながら、塩業資料館内を見学します。

塩業資料館内見学

塩を取る方法にはいろいろあって、多くの国では「岩塩」や、「天日塩」という、自然に作られた塩を利用しますが、日本にはそれがありません。そこで、日本を取り囲む豊富な「海」の水を使い、塩をつくっています。

しかし、海水に含まれる塩の量はたったの3%なので、ふつうに海水を煮詰めて塩をつくろうとすると火をおこすための燃料がたくさん必要になります。
そこで、海水の濃度を高めた濃い海水「かん水」をつくる方法が考えられました。

「かん水」の作り方の移り変わりは次のとおりです。

古代-藻塩焼き(海水のついた藻を天日に干し、表面に出た塩を海水で溶かしてかん水をつくる・・・と考えられている)

中世-揚浜式塩田(人力で海水をくみ上げ塩田の砂にかけ、水分を蒸発させ、かん水をつくる)

江戸時代~昭和30年代-入浜式塩田(塩の干満差を利用して海水を塩田に引き入れ水分を蒸発させ、かん水をつくる)

昭和27年~昭和46年-流下式塩田
  (竹の小枝などを組み合わせた「枝条架(しじょうか)」という装置に海水をかけ流し、水分を蒸発させてかん水をつくる)

現在-イオン交換膜式(イオンの性質を利用して、イオン膜により海水中の塩分を集め、かん水をつくる)

方法はいろいろと進化しましたが『海水を濃くして「かん水」をつくり』→『煮詰めて塩を取る』という2つの工程は変わっていません。昔も現在も、人々は工夫しながら効率的に塩を取りだしているのです。

また江戸時代後期、久米通賢の坂出開墾により、当時としては比類なき大きさの坂出塩田が築かれて以降、坂出は上質な塩の生産地として栄えてきました。
塩業資料館では、特に「入浜式塩田」で実際に使われていた道具などが多数展示されています。

館内展示

桶かつぎ体験

「担い桶」と呼ばれる、かん水を入れた桶が、どれくらいの重さだったのか、体験してもらいます。これは30kgほどですが、なんと本物は70kgくらいあるそうです。

すべて人力で、大変な重労働の作業です。
現在ではスーパーなどで簡単に買えるお塩ですが、かつては大変な思いをして作られていたんですね。

工場見学 (日本海水讃岐工場)

続いては、坂出で塩をつくっている工場の見学に向かいます。200m離れて隣にある「(株)日本海水 讃岐工場」さんです。

最初に集会場にて工場長さんのお話しがありました。ここでは、1日およそ600トンの食塩が生産されていて、全国各地に運ばれているそうです。

また、原料の海水は、工場のすぐそばの海から汲み上げてろ過したものを使っているそうで、坂出の海水が、お塩になって全国で使われていることに驚きました。

また、工場内では安全第一。
道路を渡るときには必ず指さし確認すること。
人に出会ったときには「ご安全に!」とあいさつをすること。
などの諸注意を聞いたあと、さっそく工場見学に出発です。

さっそく道路が登場しました。

指さし確認

「右よし!」「左よし!」「前よし!」しっかりと指さし確認してから渡ります。

イオン交換膜ゾーン

イオン膜を手作業で大切に洗っているところです。
薄いイオン膜を何枚にも重ねた層の両端に電気を通すと、海水が+と-の力に分かれ、塩分の濃い塩水と薄い塩水に分かれます(薄い塩水は海に戻します)。イオン交換膜は、塩分と栄養は通しますが、ゴミは通さないので、とてもきれいで安全な塩がつくれるそうです。

かん水槽タンク

せんごう釜タンク

かん水を入れておくタンクや、塩を煮詰めるための釜、工場ならではの巨大なスケールに圧倒されるばかりです。

ほかにも製品を包装しているところや、昔ながらの製法でつくられた「瀬讃の塩」を作っているミニ塩田などの見学を終え、集会場に戻ってみると、今度は「味わう」体験です。

形の違う食塩や「海水」「かん水」「苦汁(にがり)」の味くらべ。とくに「苦汁(にがり)」は、ほんのちょっぴりなめただけで、びっくりする苦さでした。

いろんな塩の味くらべ

こちらの白いかたまりは、なんと塩で出来たガメラの彫刻です。

ガメラの塩彫刻

おみやげの塩円柱
また、参加した子どもたち1人に1つ、彫刻用の塩の円柱をいただきました。
せっかくの夏休み、ぜひ力作をつくっていただきたいものです。

日本海水の方々

(お忙しい中、たくさんの方にお世話になりました。日本海水のみなさま、ありがとうございました。)

人間が生きていく上で必要な「塩」。
それを得るために昔の人はいろいろな方法で海水から塩を取り出してきました。

塩づくりの歴史が、昔から現在までどのように移り変わっているのか。

また、坂出がかつて「塩のまち」として栄えていて、先人たちの知恵と工夫と努力の結晶が、今の私たちに引き継がれていること。

今回の講座で少しでも何かを見つけてもらえたら嬉しく思います。

今後も、塩に関係する楽しく学べるような講座をおこないたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。