ぶんぶんレポ「ふしぎな形の石を訪ねて」をレポート!
平成25年4月27日(土曜日)に行われた「レキブンコウ」は、「ふしぎな形の石を訪ねて」です。
市内にある、あまり知られていない巨石や石造物を訪ねて、坂出の歴史に触れるという企画です。
行き先は当日まで内緒という大胆な試みにも関わらず、果敢にも(?)参加してくださった方は14名。みなさん、ありがとうございます。
ふしぎな石を訪ねて
当日9時、お天気も良く、全員バスに乗り込み坂出市教育会館を出発しました。 本日の講師は坂出市文化財保護審議会会長の井上勝之先生です。 ユーモアたっぷりの楽しい解説をしていただきます。
まずコースの最初は、府中から城山を上がっていき、頂上に程近いところにある「明神原古代祭祀場跡」へ。
仁和4年(888年)、雨が少なく苗も植えられず民が苦しんでいるのを見て、讃岐国国司であった菅原道真公が、ここで雨を祈る儀式をおこなったところ、見事に雨が降ってきたそうです。
それから、そこから少し山道をくだったところにある土塁跡へ。
「土塁」とは、城山に古代山城が築かれていた時代の防御土台です。
田んぼの中にドンとかまえる巨石
バスに戻り、つづいては加茂町へ移動しました。
山樋地区にある「鴨廃寺」心礎を訪ねます。
田んぼの中にドンとかまえる巨石です。 地元の「山樋史跡保存会」さんのご厚意で、田んぼの中へ入らせていただくことが出来ました。
ありがとうございます。
この石は「心礎」で、真ん中のくぼみは柱を支えるためのもの。
ちなみに
「心礎」・・・礎石の中で木造物の中心柱を支える石。
「礎石」・・・建造物の土台となって、柱などを支える石。 とのことです。
この心礎や周辺の溝や土手から出土した古代の瓦は、府中町にある開法寺跡から見つかるものと類似しており、飛鳥時代後期のお寺の跡と考えられているそうです。またこの石は、地元では「イボガミサマ」とも呼ばれ、真ん中のくぼみに溜まった水を飲むとイボが取れるという言い伝えがあるそうです。
つづいては、そこから5分ほど歩いた所にある「馬ノ神宝塔」へ。
宝塔とは仏塔のことで、お釈迦さまの遺骨を安置する塔の一種とのことです。
笠から上を失って、台石と塔身のみですが、室町時代のものと考えられているそうです。
参加者からも熱心な質問が飛び交います。
牛が舞い降りてきた石
またバスに乗って、今度は加茂町の牛の子地区へ。
団地のそばの山道を少し登って5分ほど歩くと竹林の中に、巨石が現れました。
これは「牛の子岩」と呼ばれていて、菅原道真公がしばしばこの地にある「松山館」に訪れていたとき、天から神の使いである牛がこの石上に降りてきて守ったとの伝承があるそうです。
また、ここで井上先生より1枚のプリントが配られました。
なんと、『かぐや姫』に出てくる「竹取の翁(たけとりのおきな)」の名前は「さぬきのみやつこ」と言い、朝廷に竹細工を献上するため、讃岐国から大和国に移り住んだ一族なのだそうです。
誰もが知っているおとぎ話の中に香川県が関係していたなんて初めて知りました。昔から、讃岐と竹は深いつながりがあるんですね。
コースの最後は「犢山(うしのこやま)天神社」です。 まっすぐ伸びた石段を上がった先に佇むお社があります。
先ほどの、菅原公が遊びに来ていた「松山館」のあったところと言われ、のちにここへ社殿を建て、菅原公を祀ったのだそうです。
石より筍
そして最後の最後に、先ほど牛の子山でお会いした「坂出市青年団体連絡協議会」さんより、「タケノコ」のおみやげをいただきました。
思わぬ交流で思わずみなさん笑顔に。 ありがとうございます。
今回の講座は、日頃目にしていない石や、知ってはいるけど行ったことのない場所の岩などを訪ね、その石にまつわる伝承の説明を通して、歴史上の人物の足跡や遺跡の話などについても触れながら、市内に残る巨石や石造物から坂出の歴史に触れるものとしてみました。
今後もいろいろと企画していきたいと思っていますので、みなさんのオススメの石や、また地元の人のみぞ知る言い伝え、またこんな企画はどうかなど、いろいろな情報、お待ちしています!