ぶんぶんレポ「今こそ読もう雨月物語~白峯~」をレポート!
平成26年11月1日
まだまだ馴染みの少ない『古典の日』。
古典に関心と理解を深めてもらい,広く親しみ,心豊かになるようにと,11月1日が「古典の日」として国の記念日になっています。
皆さまに,気軽に古典に触れてもらえる企画をどうすれば・・・そんな事を考えながら実施した今回のレキブンコウ(坂出歴史文化講座)は,850年忌を迎えた崇徳上皇(すとくじょうこう)にちなんだものです。
「今こそ読もう!『雨月物語』~白峯~」
平成26年11月1日(土曜日),晴天に恵まれた当日にまず向かったのは府中町にある鼓岡(つづみがおか)神社です。
崇徳上皇が亡くなるまで住まわれていた御所「木ノ丸殿(このまるでん)」のあった場所と言われており,当日,天候に恵まれたせいか,ここからは,当時存在していた讃岐国の国府跡が,気持ちが良いくらい一望でき,きっと崇徳上皇もこうやって景色を眺めていたんだろうなぁと思いを馳せました。
さて,その鼓岡神社の敷地内に建てられているここ「擬古堂(ぎこどう)」です。
大正2(1913)年,崇徳上皇750年大祭が挙行された際に建てられたもので,木ノ丸殿を偲び,その雰囲気を模して造られているため「擬古堂」という名称になりました。
今回なんと,地元の方に許可をいただき,この擬古堂を使わせてもらうことができました。
玄関には、地元の方が秋らしい演出をしてくださっています。
参加者の方々には,百年も昔に建てられた趣きあるこの建物で,『雨月物語』の朗読を聞きながら古(いにしえ)のロマンに浸っていただくという趣向です。
『雨月物語』とは江戸時代後期,上田秋成(うえだあきなり)によって書かれた読本(よみほん)です。
読本とは,古典的な伝承や説話等にある怪奇な事件や,作者独自の想像による,史実とは異なる歴史を題材にした小説です。
その『雨月物語』から,今回は崇徳上皇と西行(さいぎょう)法師の論争を描いた「白峯」の篇を朗読していただきました。
朗読していただいたのは,坂出市の朗読グループ「火曜会」のみなさん。今回は中でも地元府中町の方たちにお願いしました。
「あふ坂の関守に許されてより,秋こし山の黄葉見過しがたく,浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた・・・」
まるで景色が浮かぶような抑揚のある声が,会場内に響きわたります。
そして白峯にある崇徳上皇の御陵(ごりょう(お墓のことです))を西行が訪れる場面に差し掛かったとき,何やら人影が。
西行法師の登場です。
実は今回,劇団「テアトル・ローマン」のみなさんに,朗読に合わせて登場人物の心情を表現してもらいました。
「朗読と演劇のコラボレーション」で参加者の方に楽しんで学んでいただこうというサプライズ的な要素を盛り込みました。
主な場面をご紹介しますと,
御陵というにはあまりにも荒れ果てたひっそりとした場所に,うら悲しい表情を浮かべる西行。
そこに崇徳上皇の霊が現れ,物語は大きな展開を迎えます。
かつて歌を通して交流のあった頃の穏やかな表情を失い,怨念の権化(ごんげ)となって現れた崇徳上皇の霊と,それでもひるまずに心を込めていさめようとする西行が,王道についての論争を繰り広げる。』 といったところです。
このように,それぞれの登場人物に成りきった朗読と役者のパフォーマンスが,静かに繰り広げられました。
(崇徳院の子分,天狗の相模坊も現れました。)
耳と目で古文のストーリーを味わっていただくため,はじめと終わりのくだりは原文のまま,崇徳上皇と西行のやり取りのシーンは現代語訳で行いましたが,参加者の声として,「良く分かって大変面白かった」との好評をいただきました。
さて,ここからは崇徳上皇ゆかりの地めぐりです。
まずは、上皇が飲み水として使っていた井戸「内裏泉」へ。
そして、ここ讃岐の地で誕生した皇子のお墓「菊塚」と、上皇が使っていた食器を埋めたという「椀塚」。
皇女のお墓「姫塚」。
木ノ丸殿ができるまで住んでいたという説のある「雲居御所」「長命寺跡」などを,バスと徒歩で移動しながら見学しました。
いずれも,崇徳上皇にまつわるものが地元の人たちによって大切に守られています。
世間では怨霊というイメージがつきまとう崇徳上皇。
けれど,こうしたたくさんのゆかりの地が存在し,今でも地元の人たちから愛されている上皇は,憎悪に満ちた恐ろしい人物のようには思えませんでした。
古き良き日本の文化・古典に目を向けてみてくださいね。
今回この講座を行うにあたって,沢山の関係者の皆さんにご協力いただきました。本当にありがとう
ございました。
「ぶんぶんレポ」では、文化芸術イベントや、今注目の文化財、史跡などを、不定期にてレポートしていきます。