瀬戸大橋(本州四国連絡橋)
瀬戸大橋とは
優美な多島美を誇る瀬戸内海をまたぎ、本州と四国を結ぶ長大橋です。
3つの吊橋と2つの斜張橋、1つのトラス橋があり、この6つの長大橋とこれらをつなぐ高架橋を総称して「瀬戸大橋」と呼んでいます。
道路、鉄道併用橋(上部が自動車道路、下部に鉄道)としては、世界最大級の橋です。
通行料金・道路状況
通行料金は、本州四国連絡高速道路(株)<外部リンク>のページでご確認ください。
道路交通状況は、日本道路交通情報センター<外部リンク>のページでご確認ください。
6つの長大橋
南備讃瀬戸大橋
北備讃瀬戸大橋に続けて坂出市番の州側に架けられた瀬戸大橋ルート最大の吊橋です。南北二つのケーブルを地面の一箇所で固定させる為に設けられた共用アンカレッジなど当時の世界最先端技術が駆使されており、その全長は1723m、中央支間長1100m、主塔の高さ194m、ケーブルの直径107cmです。
北備讃瀬戸大橋
与島と坂出市番ノ州の間3.2kmを南備讃瀬戸大橋とともに結ぶ吊橋です。この海域は国際航路にあたる瀬戸内海の主要航路で大型船の往来が最も激しいところであるため、橋台や橋脚はできるかぎり三子島の付近に集めてあります。また橋桁の高さは海面から65mもあり、50万トン級の大型船がゆうゆうと通過できる高さを誇っています。全長は1611m 中央支間長990mケーブルの直径は101cmです。
与島橋
6つの大橋のうちで、ただ一つのトラス橋が、この与島橋です。トラス橋とは、三角形を合わせて作ったジャングルジムのような安定のよい橋で、吊橋や斜張橋と比較すると、簡素でいかにも鉄橋らしい趣があります。トラス橋としては大規模橋梁で、その全長は877m,中央支間長245mです。与島橋は、力学的にもバランスのとれたシンプルな景観を見せています。
岩黒島橋
岩黒島と羽佐島を結ぶ斜張橋で、並んで架かる櫃石島橋とその形式・大きさとも全く同じ双子の橋です。この二つの橋は、道路と鉄道が併用した斜張橋としては、世界最大級のもので、二つ合わせて1677mの長さがあります。気品にあふれた優美な景観は,美しい瀬戸内海の眺望にピッタリとマッチしてまさに白鳥が羽をひろげたような趣があり、斜張橋ならではの美しさを誇っています。
櫃石島橋
櫃石島と岩黒島を結ぶ美しい橋で、当初はトラス橋の建設が計画されていましたが、瀬戸内海の景観を損なわないようにとの配慮で、白鳥が羽をひろげたような優美な形の斜張橋が架けられることになりました。吊橋についで長い支間に適しているこの斜張橋は、全長792m、中央支間長420m、主塔の高さ152mです。H型の主塔から左右対称に張られたケーブルの数は1基の塔につき88本で、このケーブルが橋を支えています。
下津井瀬戸大橋
最も本州側に渡る橋で、この橋のほぼ中央が香川県と岡山県の県境になります。全長1447m、主塔の高さは149m、橋桁から海面までは31m、ケーブルの直径94cm、中央支間長は940mです。長い支間を持つ橋に適した吊橋であるこの橋のケーブルは、鷲羽山の景観を損なわないとの配慮から、その北端を2本のトンネルの中にコンクリートで固定されています。
瀬戸大橋豆知識
- 全長
- 9368m
- 世界最大級
- 瀬戸大橋は、上部が自動車道路と下部に鉄道の2段構造になっています。
道路と鉄道の2段構造になっている6つの橋と4つの高架橋をあわせた総延長13.1km(道路鉄道併用部分)は、道路鉄道併用橋では世界最大級です。 - 種類
- 吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設
- 総事業費
- 1兆1338億円
- 世界初
- 工事に採用された「超音波による海底無線発破」は世界初
- 起終点と延長
- 道路/岡山県早島町(国道2号線)から香川県坂出市(国道11号線)に至る37.3kmです。
- 鉄道/茶屋町駅から南下し、下津井瀬戸から備讃瀬戸までの区間は道路との併用橋で、坂出市、宇多津町に至る32.4キロです。
- 明治22年
- 大久保じん之丞が瀬戸大橋架橋を提唱
- 工期
- 約9年半(昭和63年4月10日開通)
- 車線
- 道路/4車線構造
鉄道/在来線の複線構造(将来新幹線も併設できるようになっています) - 設計速度
- 速度/道路は100キロ、鉄道は160キロを設計速度としています。
- 耐荷重
- 荷重/道路は総重量43トン級のトレーラー連結車が走行でき、鉄道は総重量1,400トン(新幹線では16両編成)の2列車が同時に走行できます。
- 耐風
- 秒速60~70メートル。過去の瞬間最大風速は53メートル(与島)です。
- 耐震
- マグニチュード8程度の大規模の地震を対象としています。紀伊半島および土佐沖において、100年に1~2回の発生が予想される。(南海地震)
- ケーブル
- 直径107センチメートル(南備讃漸戸大橋)
- アンカレイジ(橋の両端でケーブルを支える固定台)
- 最大のものは1基59メートル×75メートル×高さ131メートルです。
- 主要資材の量
- 鋼材/70万5千トン
コンクリート/364万6千立方メートル
瀬戸大橋建設までのあゆみ
- 明治22年5月23日
- 大久保じん之丞が瀬戸大橋架橋を提唱昭
- 昭和30年7月4日
- 国鉄連絡船紫雲丸の事故を契機に、「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を香川県議会から国に提出昭
- 昭和45年7月1日
- 本州四国連絡橋公団発足
- 昭和48年10月26日
- 建設・運輸両大臣が本四公団に対し工事にかかる実施計画を認可
- 昭和48年11月20日
- 石油危機により11月25日に予定されていた本州四国連絡橋3ルートの着工を延期
- 昭和53年10月10日
- 瀬戸大橋起工式を、坂出市番ノ州で挙行
- 昭和54年1月27日
- 海中発破工事開始
- 昭和55年10月1日
- 南備讃瀬戸大橋5Pで最初のケーソンを沈設
- 昭和56年2月27日
- モルタルプラント船「世紀」が南備讃瀬戸大橋5Pで、第1回目のモルタル注入作業を開始
- 昭和57年5月15日
- 国鉄予讃線付替え工事の起工式を挙行
- 昭和57年10月12日
- 本四公団が瀬戸大橋の色彩をライトグレーに決定
- 昭和58年8月10日
- 北備讃瀬戸大橋3Pで最初のタワー架設工事を開始
- 昭和59年4月25日
- 北備讃瀬戸大橋3Pで最初のタワー完成
- 昭和59年6月21日
- 岩黒島橋の橋桁架設を開始
- 昭和61年6月11日
- 岩黒島橋の橋桁が閉合
- 昭和61年9月13日
- 与島橋の橋桁が閉合
- 昭和61年10月6日
- 櫃石島橋の橋桁が閉合
- 昭和62年1月17日
- 道路部、鉄道部のトンネル(8カ所・14本)がすべて貫通
- 昭和62年3月15日
- 北備讃瀬戸大橋の橋桁が閉合
- 昭和62年4月18日
- 下津井瀬戸大橋の橋桁が閉合
- 昭和62年5月25日
- 本四公団が瀬戸大橋の道路名称を「瀬戸中央自動車道」と決定
- 昭和62年8月5日
- 本四公団が「瀬戸大橋」の名称を使用することを決定
- 昭和62年8月12日
- 南備讃瀬戸大橋の橋桁が閉合(海峡部の橋桁すべて閉合)
- 昭和62年11月30日
- JR四国及びJR西日本が岡山~宇多津~高松間の愛称線名を「瀬戸大橋線」と決定
- 昭和63年4月2~3日
- 瀬戸大橋開放行事実施(橋上サイクリング・橋上マラソン・橋上ウォーク)
- 昭和63年4月5日
- 瀬戸大橋とゴールデンゲートブリッジの姉妹橋の調印
- 昭和63年4月10日
- 瀬戸大橋開通式を与島で挙行
リンク
- 本州四国連絡高速道路(株)<外部リンク>