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万葉の島沙弥島

コスモス
印刷用ページを表示する 掲載日:2016年7月6日更新

沙弥島(しゃみじま)

沙弥島には,島のあちこちに,旧石器・縄文・弥生時代の遺跡や古墳,文学碑が数多く散在しています。 なかでも万葉の歌人柿本人麻呂ゆかりの歌碑や,讃岐の五大師の一人「理源大師」に因んだ旧跡などはよく知られており,これを目的として島を訪れる歴史・文学愛好者たちも多くいます。
 島内には,青少年の研修宿泊施設をもつ坂出市「海の家」や,主要な史跡などをめぐる快適な遊歩道なども整備されています。 瀬戸内の四季の風光を満喫しながら,ゆったりと,この万葉の島ならではの歴史文学散歩を楽しむことができます。
 島の最北端に突き出した長崎鼻の南にある「柿本人麿碑」は,人麻呂が,この島に船を着けて「石中死人を視て作歌」し,その心を敬慕した作家中河与一氏が,昭和11年に建立した記念碑です。 また,この石碑に隣接した海岸線には「人麻呂岩」があり,人麻呂が沙弥に漂着して視た”石中の死者”が,この岩の附近にあったと伝えられています。

沙弥島地図

沙弥千人塚

千人塚・陪塚実測図 沙弥島の南西端の権現山,浜辺が海流で削られた急崖上の平たん部に,方墳の千人塚を中心とした群集墳があります。 一辺約10m,高さ約1m50cmの花崗岩で盛られた方墳で,小さい花崗岩の列石が二重に積まれ,方形をよく残しています。 石室は墳頂の東南隅に竪穴式石室が確認されています。 墳頂部は平たんですが,大正期には中に空洞が見える程度の穴が開いていたといい,全長36センチメートルの鉄剣が掘り出されています。 墳形などにより,古墳時代中期から後期頃のものとされています。
 また,方墳の南西部や東部に方形あるいは長方形に,花崗岩を1~2mに1~2列ほど列石の並ぶ墳丘を持たない小さな古墳が5基,組み合わせ棺が3基あり,陪塚と呼び習わしていますが,同一時期の築造と認めることはできかねます。 さらにこの山の北側の斜面に,崩壊していますが横穴式石室が三基確認されています。
 一方この古墳,千人塚については,聖宝(理源大師)の母,綾子の墓であるという伝説があります。

沙弥ナカンダ浜遺跡

ナカンダ浜の写真 沙弥ナカンダ浜遺跡は,県下でもまれな縄文遺跡で,縄文土器が出土する遺跡として研究者の注目を集めています。
 数回にわたる発掘調査が行われ,従来の縄文遺物のほかに,弥生時代から古墳時代にかけての製塩遺跡の存在が確認され,製塩生産に関係する敷石炉や焼き塩炉,更に弥生時代前期の遺物なども検出されました。
 現在,製塩遺跡に代表される海浜遺跡の多くが消滅していくなかで,沙弥ナカンダ浜遺跡は縄文時代から弥生時代を経て古墳時代にいたる遺構が良好に保たれていることなどから,県指定史跡に指定されています。
 沙弥ナカンダ浜の地名の由来については,『中の田(畑)』がなまってナカンダとなった説と,北の浦をキタンダ,西の浦をニシンダという方言から『中の浦』をナカンダといったとする説の2つがあります。

沙弥島ナカンダ浜等における禁止・許可行為

 

沙弥島ナカンダ浜等における禁止・許可行為を適用する範囲 

沙弥島にゆかりのある偉人

柿本人麻呂

奈良時代頃の歌人として著名ですが,生年・没年不明。
孝昭天皇の皇子の子孫ともいわれますが,「万葉集」以外の史料では所伝がなく,晩年石見国にて没したといわれています。
「万葉集」には長歌20首,短歌70首が人麻呂作といわれています。
「万葉集」には質,量ともに優れた作歌活動が伺われます。 

理源大師

 理源大師は讃岐5大師の一人として,また醍醐寺の開祖として有名な人物です。
父・葛声王が讃岐塩飽諸島に流された際,既に母・綾子姫は懐妊しており,葛声王は恩赦により都に帰りますが,母綾子姫は讃岐にとどまり, 832年淳和天皇の治世に,讃岐国鵜足郡狭岑島の龍の口(天狗岩)にて大師を出産したという言い伝えもあります。
大師の幼名は恒蔭王といい,聖宝は出家得度後の名称です。

中河与一

明治30年 阪出病院長,中河興吉郎の長男として出生。
大正8年 早稲田大学英文科に入学。
昭和6年 「文芸春秋」に「鏡に入る女」発表。
昭和10年 12月10日~4月20日 「朝日新聞」に小説「愛恋無限」を発表。
昭和11年 11月3日 沙弥島に渡り,「柿本人麿の碑」をナカンダ浜に建立。
昭和12年 斎藤茂吉,沙弥島に渡り「柿本人麿の碑」を見学。
昭和52年 4月29日 オソゴエの浜に故番正市長等により「愛恋無限の碑」が建立。
昭和60年 「柿本人麿の碑」が当初計画予定地の「人麿岩」の近くに移転される。
平成6年 97歳で没

沙弥島の名称の移り変わり

明治4年4月
丸亀県塩飽砂弥島
明治4年12月
香川県塩飽砂弥島
明治4年2月 
名東県塩飽砂弥島
明治7年2月
名東県那珂郡塩飽島砂弥島
明治8年9月
香川県第三大区砂弥島村
明治9年8月
愛媛県第六大区小区砂弥島村
明治18年1月
愛媛県那珂郡与島村砂弥島
明治21年12月
香川県那珂郡砂弥島村
明治23年2月
香川県那珂郡与島村大字砂弥
明治28年
浜田六蔵 砂弥塩田を造成(明治33年完成)
明治32年4月
香川県仲多度郡与島村大字砂弥
昭和26年1月
香川県仲多度郡与島村大字沙弥
昭和28年4月
香川県坂出市与島町大字沙弥
昭和33年
砂弥塩田 【入浜式塩田】 廃止
昭和42年
埋め立てにより,坂出と陸続きになる。
この頃よりイオン交換樹脂膜法が採用され,市内多くの塩田が廃止となる。