ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

史跡城山

コスモス
印刷用ページを表示する 掲載日:2006年12月1日更新

史跡城山

ホロソ石

 城山は地名からもわかるとおり古代山城の遺跡があり, 早くから国指定の史跡となっています。 また,一方で城山の城跡は城山長者の伝説と結びついていて,坂出の昔話として語り伝えられています。
 城山は朝鮮式山城とも神篭石とも呼ばれていますが,今日では朝鮮式山城に類似する構造の城跡と考えられています。 朝鮮式山城は7世紀後半頃の朝鮮半島の政治的緊張に伴い,日本国内の防御体制を整えるために築かれたとされています。
 城山の城跡は山頂の平たん部を中心に確認されており,平たん部から急斜面へと変換する地点付近には石塁・土塁が一重から二重に巡らされています。(下記遺跡地図参照)
車道(くるまみち)と呼ばれるこの遺構は,足の具合の悪かった娘を車に乗せて,長者が一緒に散歩したものだと語り伝えられてきました。
 このほか,山中にはホロソ石(文中写真)・マナイタ石と呼ばれる奇妙な石製加工物が散在していますが,これらは幾つか存在したと考えられる城門の礎石ではないかと推測されていますが,ホロソ石一対とマナイタ石とで城門の礎石が組まれたなら,その数が足りないことや,その発見場所が全く離れていたりすることなど,不明な点が多く,破壊されたためではないかとか築造途中に放棄されたのではないかなど,諸説が考えられています。
 いまだなぞに包まれた遺跡なのです。

城山城門の想像図

城門 想像図イラスト城門 想像図イラスト2

城山遺跡地図

城山 遺跡地図
地図上の等高線,遺跡の位置,距離間隔等は,正確なものではありません。

城山の古墳

タイバイ山古墳

 長さ35メートルの前方後円墳です。
城山の明神原に向かってある前方部は,地面を削って形が整えられています。

白砂古墳

 この古墳は,古墳時代前期に作られたと考えられています。
 この古墳も明神原に向かっていますので,タイバイ山古墳も前方部が明神原に向かって作られていることから,古代の祭りとの関係があったのではないかと考えられています。

弘法寺古墳組合石棺内実測図

 タイバイ山古墳とほぼ同じ時期に作られた円墳です。
 現在,古墳の上に多くの石が積まれていて中の様子はわかりませんが,昭和32年の記録によれば,円墳の中に石棺が三基あり,銅鏡や硬玉製勾玉等多くの副葬品が出土したとされています。
これらの副葬品は,現在東京国立博物館に納められていて,考古学の貴重な資料となっています。
(右写真は組合石棺内実測図)

醍醐古墳群

 この古墳群は,巨石を利用した横穴式古墳群として有名で,巨大な石室をもつ古墳が11基ほど記録されており,県下でも有数の群集墳を形成しています。

古墳の種類

円墳のイラスト方墳のイラスト前方後円墳のイラスト
円 墳方 墳前方後円墳

明神原遺跡

明神原遺跡 この付近は,巨石が点在して小さな祠も置かれています。この場所が,国司菅原道真公が城山の神に祭文をよみあげて,雨を降らせて欲しいと祈った場所と伝えられています。
 仁和二年(886年),都から讃岐の国府に赴任してきた道真公は,当時の讃岐が干ばつや飢きんにみまわれていて,人々の日々の生活が悲惨な状態だったため,降雨を城山の神に祈ります。 祭文をあげると見事に雨が降り始め,人々は大いに喜び踊ったとされ,後に念仏踊りの形で語り伝えられています。
 城山の明神原は,かつては城山神社の位置していた場所ともいわれ,神が降り立つ場所として古来から磐境(いわき)として神聖視された場所です。

城山の神社

城山神社

城山神社 城山神社は神櫛別命を祭る神社で,延喜式神名帳に大社と記された古くからの神社です。
もとは明神原にあったとされ,中世の白峰合戦のころの兵火で消失したのち,国府の印鑰の地に移り,その後現在の地に移ったと伝えられています。

黒岩天満宮

 郷獅山は,標高296メートルの安山岩の山で,南中腹には市内でも珍しい石窟仏も残っています。この郷獅山の西中腹に位置する黒岩天満宮は,菅原道真公を祭神とする神社で,近年は学問の神として多くの人の崇拝をあつめています。
 黒岩の名称は社の南の巨石が殊に黒いことから由来するとされています。
 仁和四年の大干ばつのおり,道真公は西中腹の当地にも下り,降雨に感謝する祈りを上げたと伝えられ,以来,この地を祈雨所として祠を建て,道真公を祭ったと伝えられています。
 元禄五年の干ばつの際,川津の住人で高松藩士の山口弥衛門が降雨を祈願し,雨が降ったことから,祠を改築して道真公をお祭りしたのが天満宮で,明治に火災をうけましたが,再建されました。

山名の由来

城 山

 山頂に朝鮮式の山城址があるので,我が国においては城(しろ)のことを「き」と呼んだのがそのまま山の名として残ったと推測されています。

郷獅山

 山麓より山頂近くまで角礫凝灰岩の層で,中世にこの層を利用した岩窟寺院が多く存在したと考えられます。
こうした宗教的関係から,僧侶を呼ぶ五師(ごし)または人里離れた弧寺(こじ)などの意が山名になったようです。

史跡城山の見学等についての注意事項

 史跡城山の遺跡等は,一部(城門周辺)ゴルフ場内にあり大変危険です。また時期により見学等できない時がありますので,あらかじめ下記の「高松カントリー倶楽部」にお問い合わせ願います。

高松カントリー倶楽部
〒762-0021 香川県坂出市西庄町1625-15
Tel:0877-46-5555