ぶんぶんレポ「ひついし魅(み)て遊(ある)き」をレポート!
「ひついし魅(み)て遊(ある)き」
坂出最北端の島、櫃石島(ひついしじま)には瀬戸大橋の際に出土した多くの遺物や、大阪城築城時に切り出されたものの使われなかった残石など、たくさんの文化財があります。
今回、年1回おこなわれる香川県指定無形民俗文化財「櫃石ももて祭」に合わせて、これらの文化財や櫃石の見どころを紹介する講座「ひついし魅(み)て遊(ある)き」をおこないました。
チラシはこちら→「櫃石魅(み)て遊(ある)き」 [PDF/352KB]
櫃石島上陸
平成26年1月26日、坂出市役所に集合。島へは船で、と言いたいところですが、瀬戸大橋でつながっているので、専用バスで櫃石島へ向かいます。
櫃石バス停で降車して、路地を歩いていくこと5分。
まずは坂出市指定記念物(史跡)「櫃石の札場(附)大井戸」です。
江戸時代に御触れ(法令)が出される際、その高札(掲示)をするための場所は「札場(ふだば)」などと呼ばれていました。
櫃石島を含む塩飽諸島には、かつて24の札場が設けられていたとされていますが、今でも残っているのは本島と手島、そしてここ櫃石島だけ。正確な年代から使われているものか分かっていませんが、井戸という多くの人が集まる施設の前に札場を作ったものと想定されるため、この二つを一体のものとして平成13年、坂出市の史跡に指定されたそうです。
続いては、更に路地を進み石段を上がって「王子神社」に到着です。
櫃石ももて祭
ここで、今回のメインである香川県指定無形民俗文化財「櫃石ももて祭」が行われます。
櫃石ももて祭りは、11人の射手(いて)が弓射を行うことにより、その年の豊作を願い、吉凶を占う神事です。その起源は明らかではありませんが、昔から旧暦1月に行われています。
社殿内で神事を行ったあと、櫃石ももて祭の特徴の一つである大的が射手さんたちによって運ばれます。
この大的は、葦竹(よしだけ)で編んだものに和紙を貼って正方形に33の黒丸(かつては梵字であったと言われています)を描いた手づくりのものです。
その後は宮周りとして射手が「ノーマクサンマンダ・・・」(不動明王の真言と思われます)と唱えながら社殿を一周します。
弓射は「ズンドウ矢」と呼ばれる、竹の軸と松の矢じりで作った手づくりの矢で行われますが、
最初の一手だけは本矢でおこなわれます。
宰領(さいりょう)のかけ声で一手目が放たれると、小気味良い音を立てて次々と本矢が大的に命中しました。
しかし二手からのズンドウ矢は、自然の竹を使っているためまっすぐ飛ばすのは至難の業。それでも見事命中した時には、その都度見学席から感嘆のため息がこぼれます。
射手にも序列と立ち位置が決まっています。
大的から一番遠い「大前(オオマエ)」と呼ばれる射手さんが一番のベテランだそうです。
また、祭の主役はもちろん11人の射手ですが、その他にも伝統的に「矢直し」と「矢拾い」という役割の人がそれぞれ2名ずついます。
「矢直し」はズンドウ矢を作成、修理します。また、「矢拾い」と呼ばれる子どもたちは一手が終わる都度、ズンドウ矢を拾い、一手分まとめて射手に渡します。
この時、投げるように渡しますが、これもきちんと決まった所作なのだそうです。
途中、3回のお神酒、お椀と昼食の御膳(それぞれ内容は決まっています)が射手に出されます。それらを口にしながら、また何度も何度も弓射をおこないます。
「ももて」は「百手」と書き、一人の射手が一手二矢の弓射を何度も繰り返すことから名付けられているそうです。
座って、立って、弓を構えて矢を放つという一連の所作。その流れるような立ち居振る舞いも美しく、伝統の重みを感じます。
「だんご」を探しに。
神事の途中ではありますが、次に、希望者のみを対象に花見山(はなみやま)へ向かいます。途中、瀬戸大橋の高架下をくぐりながら、眼下にはJRの線路が続いています。
日ごろなかなか見ることのないアングルで、タイミングが良ければ列車が通過するのを見ることも。
花見山へ向かう途中の坂道は、絶好の景色スポットで、目の前に穏やかな瀬戸内海と小島が太陽の光を浴びる景色が広がります。
花見山の頂上付近にある巨石、これが目的の岩です。
江戸時代に大阪城が再建される際の材料として切りだされたものの、大阪まで運ばれることもなく、島内に残された石があります。これが大阪城残石と呼ばれるものです。
残石のうちの一つには「越前」という文字が刻まれていたことから、越前藩により切りだされたと考えられています。
藩ごとに岩に異なる印が刻まれており、その模様から「だんご岩」とも「メガネ岩」とも呼ばれています。
一番はっきりと見える刻印はこちらです。丸を2つ、真ん中に棒が引かれています。
また、串団子の刻印のある石のうちひとつに、ゼニガミ(もしくはゼニガメ)石と呼ばれるものが
あります。
違った角度からだと亀が頭をもたげているようにも見えます。
この石は、山の頂にいた金を噛む化け物の化身であり、これを落とすと暮らし向きがよくなるが、しばらくするといつの間にか元の位置に戻ってしまうという伝説があるそうです。
この岩にも、うっすらとですが、串団子の刻印があります。見えるでしょうか。
道のない場所にも残石があります。果敢に登って刻印を確認します。
花見山から王子神社へ戻り、社務所でうどんのお接待をいただきました。美味しいおうどんに心も体もホッコリ温まります。
またご好意で「ズンドウ矢」をいただいた参加者も。この「ズンドウ矢」は、持ち帰って家に飾ると縁起が良いとのことです。
王子神社を後にし、つづいては櫃石公民館へ向かいます。
ここでは、瀬戸大橋建設工事の際、櫃石島で出土した遺物(埋蔵文化財センター蔵)が展示されています。
旧石器時代、また縄文時代前期から中世と思われる、壺や鉢、杯、耳飾り、また塩を採るために使われたという製塩土器が展示されています。また、潜水漁の潜水具
歩渡島へ
展示を見学したあとは、「歩渡島」(ぶとじま)へ向かいます。
櫃石島の南東部に浮かぶ小島は、かつては引き潮の時だけ道が現れて陸続きとなる島でした。
そのため、歩いて渡れる島「歩渡島」と呼ばれています。
今はコンクリート製の防波堤でつながって、いつでも渡れるようになっています。
(1)歩渡島 (2)櫃石の由来となった「櫃岩」への道があります
歩渡島の入口から見たところです。こちらも絶好の景観スポットです。参加者の方からは「天気のときにお弁当を持ってまた来たい」という声が。
この日は途中から天候が崩れてしまい残念でしたが、ももて祭をはじめ数多くの文化財、また櫃石島の魅力を学んでもらうことが出来たと思います。