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太鼓台のルーツ・構造

コスモス
印刷用ページを表示する 掲載日:2006年12月7日更新

太鼓台のルーツ

 坂出の太鼓台のルーツは,やはり塩の町の創造者「久米通賢」に起因します。文政7年(1824年)坂出墾田計画を建白し,同9年から工事を始め3年後に完成しました。その工事に携わった労働者200万人の出身地は,藩州,備中,備前,東讃などからなり,工事終了後も坂出にとどまり塩田に従事したり,塩に関連した運送,販売などの仕事に従事する者も多くいました。それ以来,文化,風習,色々な物品の交流が盛んになり,なかでも塩の輸送がきっかけで,坂出にも江戸時代後期に太鼓台が伝えられたものと推察されます。

 日本の祭は京都の祇園祭を源に,太鼓台は泉州堺から瀬戸内海沿岸地方に伝えられ,各地で独自の祭礼文化として伝承されました。太鼓台に布団が使われているのは,江戸中期,綿入り布団が庶民に貴重品であり,神輿でお旅所に行った神様が休まれるときに,氏子が寝具として布団を運んで使われたのが由来だと言われております。

 蒲団太鼓台も各地で名称も異なります。泉州堺地域では布団太鼓,播州三木地域では太鼓,播州高砂地域では屋台,ヤッサ,岡山県南部地域では千歳楽,愛媛県新居浜地域では太鼓台,坂出ではサーシマショと呼ばれていました。この呼び方は,以前の播州高砂地域と同じ掛け声で,太鼓台を担ぎ挙げるときはの掛け声に由来しています。岡山県南部地域での千歳楽も同様です。

 香川県西部地域ではチョーサと呼ばれ,この呼び方は,元は中国語で招財(チョウザイ)と言い,これが日本語化してチョーサになったと言われています。太鼓台を練る時のヨィヤサーと言う言葉は,弥栄と書いて無限とか極限の意味です。岡山県南部地域の千歳楽,万歳楽は神をたたえる言葉だそうです。

 祭りが来ると必ずのぼりが立つ。これは,神が地上に降りてくる時の目印であり,太鼓の音は神を呼び出す合図と言われております。それぞれの形,掛け声にも歴史と伝統があり,お互いに影響しあいながら伝承されております。

 戦前の坂出太鼓台は,塩田の激しい仕事に耐え抜いた浜子衆によって担がれ,激しさと気性の荒さが名物の祭りだったようです。しかし,塩田の衰退とともに,太鼓台も衰退しましたが,昭和61年にさかいで大橋まつり太鼓台が出場したのをきっかけに市内の各地で太鼓台の再建,新調ブームがわきおこり,地域の連帯と活性化,坂出市の観光にも大きく寄与しています。

 坂出の太鼓台は,各地区の状況により伝承されてきたルートの違いにより,色々な型が混在しておりましたが,大正,昭和初期に新居浜から太鼓台を購入したのがきっかけで,新居浜型太鼓台が主流になっております。しかし最近では,地域の伝統を継承しつつ,坂出独自の太鼓台が生まれつつあります。

太鼓台の構造

太鼓台の構造

重量

 約2トン

高さ

約5m

長さ

約12m

かき夫

1台に約150名