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沙弥島(しゃみじま)

コスモス
印刷用ページを表示する 掲載日:2006年12月7日更新

沙弥島から眺める讃岐 沙弥島から眺める讃岐は美しい。讃岐の国津神飯依彦命のやどる飯野山を中心に,東に城山,五色台,南に大麻山・善通寺五峰・雨霧,青ノ山と,それぞれに峻険に,あるいは,まろやかに並びはるかかなたに阿讃山脈と四国山地が重々と延びる。

 沙弥島はかっては坂出港の沖合約4kmに浮かぶ,東西160m,南北930mの小島であった。昭和42年(1967年)番の州埋立事業で陸続きになったが,今でも『沙弥島』と呼んでいる。

 島の歴史は古く,『万葉集』に柿本人麿が詠んだ
玉藻よし 讃岐の国は 国柄か
見れども飽かぬ 神柄か・・・
狭岑の島の 荒磯面に・・・
という歌は有名で,はるか昔は,沙弥島は,狭岑島などさまざまな字が当てられていた。
 今では沙弥島からの眺望も刻々と変化しており,昭和63年4月瀬戸大橋の完成により,新しい景観をつくりだしている。

柿本人麿碑(人間愛の尊さにあふれた聖地)

柿本人麿碑昭和11年,坂出出身の作家,中河与一氏の手で,ナカンダ浜に「柿本人麿碑」(中河与一.撰文,川田順書)が建立されたが,このほど万葉歌集ゆかりの人麻呂岩のあるオソゴエの浜に移された。
 「昔,あらしの時にこの石のところに,海で亡くなった人がよせられたんじや。帰らぬ人のおる家では,毎日毎日ここまで見に来て待ってのぉ。それを見た柿本人麻呂が,悲しみを歌に詠んだといわれとる。」
浜で出合ったおじいさんが,そう教えてくれた。
「波の音の 繁き浜辺を敷きたえの 枕になして荒床に ころふす君が家知らば 行きても告げむ妻知らば 来も問はましを 玉鉾の道だに知らず 鬱悒しく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは」
告げるすべなき死者への悼みと,死者の帰りを待つであろう妻子への思いやりを詠い,人麻呂の崇高な人間愛を歌う長歌と短歌がある。ここに沙弥島が,万葉の島といわれる所以がある。

愛恋無限の碑(愛と無限の美をたたえて)

愛恋無限の碑

 もう一基,沙弥島には中河与一氏の『愛恋無限』文学碑がある。
 坂出市出身の作家・中河氏は,小説『愛恋無限』の最終舞台を沙弥島に選んだ。この小説は昭和10年12月から昭和11年4月まで,朝日新聞に連載された不朽の名作。愛と無限の美をたたえているが,中河氏が幼少の頃たびたび訪れたこの島での人麻呂の事跡と人間愛に深く感銘していたからであろうか。  碑は昭和52年の建立。庵治石で高さ1.2m。谷口吉郎氏によってギリシャ神殿風に設計され,碑面(愛恋無限)の備前焼陶板は,人間国宝・藤原啓氏の作である。

ナカンダ浜(瀬戸の眺望に心も柔んで)

 沙弥島の北東面にあるのナカンダ浜は,史跡の浜ともいえる小じんまりした海岸である。満潮の時には,石畳の遊歩道のすぐ横まで海面がせりあがり,澄んだ水に小魚が並んで泳ぐのが見える。ナカンダ浜では,縄文式土器,サヌカイト製石器が出土し,製塩に使用されたと考えられる古填時代前~後期(4~7世紀)の師楽式製塩土器も出土している。 また島の南側,番の州埋立地に最も近い権現山(28m)の西端に,古墳時代中期頃の方墳千人塚があり,その付近には,9基にのぼる古墳が群集している。県指定の史跡で,沙弥島の出身といわれる理源大師聖宝(839年~909年)の母の墓とこの島では伝える。聖宝は東密小野流の祖で,京都醍醐寺を開いた名僧である。
 ほかにも,沙弥島には,いくつかの横穴式石室墳があるが,そのうちナカンダ浜の西の山にある白石古墳は,昔の姿をよく残している。眼下に古代製塩遺跡ナカンダ浜を見下ろし,須恵器・金環などのほかこの浜から出土する師楽式土器が副葬されていた点は注目される。

沙弥島へのアクセス

JR坂出駅前から市営バスで約15分

沙弥島周辺の観光地