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高木の梅の木

コスモス
印刷用ページを表示する 掲載日:1998年10月23日更新

 「川津には,すぎたるものが五つある。福家に,山口,ゆうが市,高木の梅の木,才がかかあ。」こんな俚諺が,川津には古くから伝えられています。
ここに出てくる高木の梅の木は,中塚の高木家の庭に植えられていた素晴らしい梅の木をうたったものです。高木家は,綾氏,十河氏,黒木氏と並んで,今から約千九百年前の,十二代景行天皇の子孫で,現在まで六十一代も続いている旧家です,
代々,この地方を治めた庄屋さんの家柄で,苗字帯刀を許された名門です。勉強の神様と云われている菅原道真が,讃岐の国司であったとき,日照り続きで水が無く,百姓は田植えが出来ず困っていました。
国司は,城山の神に雨乞いをしました。讃岐の庄屋さんも,一緒にお祈りしました。
高木さんも参列し,一生懸命お祈りしました。すると,雨が降りだし田植えが出来ました。
この喜びをいつまでも忘れないように,国司菅原道真の大好きな梅の木を,自分のうちの庭に植え,大事に育てました。

この梅は,他の家のものとはどこか違っておりました。「うちの梅は まだ固いつぼみじゃのに 庄屋さんとこのは早いのう。」
「そうじゃ まだ雪があるというのに咲いて....。」「それぞれ こんな大きな花じゃ 薄赤うてけっこいのう。」
「ええ匂いじゃ。」「わしはこの花の匂いを嗅いだら 身も心も洗われたようじゃ。」
村人たちも不思議がり,道行く人も立ち止まるほどでした。八十八夜も過ぎ,苗代の苗が青々とするころ,梅の実はどんどん大きくなっていきました。
「あれー 庄屋さんの梅の実の大きょいことか!」「どれどれ あれーっ 桃ほどもあるのう!」
村人は驚き,不思議がり,噂しあうようになりました。この梅の木は,どんどん成長しました。
他のどの木よりも成長が早く,ぐんぐん伸びていきました。「庄屋さんとこには 何か秘伝でもあるんかのう。」
「ふしぎじゃのう。」「庄屋さんとこは,特別大きいもんばっかりじゃ。」
「なんでや。」「昔のう,庄屋さんとこに,ゆうへんさんと良純さんという,それはそれは力の強いお坊さんが出たそうやからのう。」
「なるほどのう。」

ある朝のことです。「だんなさま だんなさま」庭番の男が,あわてて庄屋さんを呼んでいます。
「何ごとか。」「ごろうじてくだされ 一晩のうちに,梅の枝がこんなに伸びております。」
「おうおう,これは嬉しいことじゃ。めでたいことじゃ。折れないように大事にしておくれ。」庭番は,梅の枝につかを立てて,大事に大事に世話をしました。
梅は年ごとに枝を伸ばし,幹をこやしていきました。「雲行きが悪いのう」
「こりゃー あらしが来るかも知れんぞう」庄屋さんも,
「この梅は 高木家の栄えている印じゃ 枝一本折れないように守ってくれ」と,皆に言いつけました。男達は,皆集まって大急ぎで梅の木につかを立てたり,縄を張って守りました。
どんなに嵐が来ても,風に揺られても,枝一本折れて飛ぶことはありませんでした。梅の木は,高さ四メートル,ひと枝の長さ十四メートル,木の根元は,大人が三人で抱えるほどになりました。
木の広がりは,五百五十平方メートル,学校の教室を十室も合わせた広さでした。その枝を支えるために立てられたつか柱が,九十六本も使われていました。
このような大きな梅の木のある高木さんを,いつからともなく『梅の木さん』と呼ぶようになりました。

 

梅の木イラスト

高松城のお殿様が,水戸から来られました。高松城初代の殿様は,水戸黄門で知られる,黄門様のお兄さんでした。
水戸には,有名な偕楽園という立派な梅の沢山植えてあるお庭があります。水戸の黄門様も,高松の殿様も,共に梅が大好きでした。
高木家の梅の素晴らしいことを知った高松の殿様は,早速大勢の家来を連れて,梅の花を見に来ました。梅の木の下には,桟敷が作られました。
薄紅の梅の花が咲き乱れ,枝ではうぐいすがさえずり,山海の珍味を前に,殿様は酒を飲んでいました。殿様の盃に,一輪の梅の花が浮かびました。
その香りは,なんともいえないよい香りで,酒の味も一段と美味しくなりました。梅の花を見られた殿様は,
「このように美しい花は珍しい それに香りも一段と素晴らしい この梅は水戸の偕楽園の梅に勝るとも劣らぬ立派な梅だ」といわれ,大変気に入られました。
殿様は,梅の花を荒らさないように,立札を立てるように命じました。お殿様が梅の花を見に来られた時,
「このように香りのよい 色の美しい花は実もさぞ美味しかろう。」と,おっしゃいました。これを聞いた庄屋さんは,立派な梅の実を殿様に献上しました。
殿様は,「大きな梅の実は格別美味しく,又万病に効く」とお喜びになりました。

黄門様の子「頼常公」が,高松の二代目の殿様に迎えられました。この殿様も梅が大好きで,高木家に梅の花を見においでになりました。
「花も実も良い高木の梅は 讃岐の宝だ ほうびとして この梅に刀を一振つかわそう。」と,立派な刀をくださいました。殿様からは,《栄寿梅》という名前も賜りました。
その後の殿様からは,梅の木の植えてある土地の年貢を,免除してくださいました。高木の梅は,代々の殿様や若殿様,お姫様が御覧になられました。
この素晴らしかった梅の木も枯れてしまい,当時の面影を知るすべもありませんが,今でも古木の一部が小屋の中に大切に保存されています。梅の木は無くなっても,高木家は『梅の木さん 梅の木さん』と,今でも呼ばれ親しまれています。

出典 「川津のむかし話」昭和58年川津町子供会作成
梅の木のイラストは「金毘羅参道沿線図」から引用しました。