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白峯天狗伝説 相模坊は鴉天狗

印刷用ページを表示する更新日:1998年11月13日更新
日本の天狗が,現在のように赤面隆鼻の天狗に転身するのは,室町時代からである。
即ち足利八代将軍義政に仕えた狩野派の絵師狩野元信(1476~1559)が,鞍馬山の天狗の総帥である大僧正坊の絵を描いた時,正面に大きく金剛杖をついた,顔の赤い鼻高天狗として描いてからだといわれている。
一方,坂出市神谷町に鎮座する神谷神社に所蔵される舞楽面のうち,室町時代の作と伝えられる還城楽面は,額に兜巾をつけた赤面隆鼻の面相である。
これらのことから,既に室町時代の中期頃までには,現在一般化されている鼻高天狗のイメージが出来あがっていたようである。

 ところで,坂出市には天狗を祀る殿舎が二ヶ所ある。
一ヶ所は同市青海町の白峯寺の境内に建つ「頓証寺奥殿」,もう一ヶ所は同市大屋冨町北の「相模坊」(通称しょうじょう坊)である。
両殿舎とも,それぞれ相模坊の木造一躯を配しているが,この両狗はともに一本作りの鴉天狗で,くちばしが鴉のように尖っている。
 大屋冨の「相模坊」の方は,かつて上皇が讃岐へ還幸のみぎり扈従したと伝えられる藤原氏の後孫が,慶応四年(1868)三月に現在地に遷座したもので,白峯寺の二体のうち一体をゆずり受けたものだという。
例祭は旧暦の一月~六~七日及び四月一日で,正月明けにはご開帳がある。
 一方「頓証寺」の相模坊は,殿舎に向かって左側の奥殿に祀られている。
この方は,院主一世一代一度のお開帳で,院主の代替わりに限り開帳されることになっている。
従って,一般参観者への拝顔は許されていない。