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白峯天狗伝説 叡慮をなぐさめる相模坊

印刷用ページを表示する更新日:1998年11月13日更新
荒廃ぶりに驚く西行法師 謡曲「松山天狗」の舞台は,いうまでもなく讃岐は綾の松山(現坂出市),白峯である。

 仁安年間,西行法師が讃岐松山のご廟所を訪ねる。
松山は草深い里である。
西行は,山風に誘われながらも御陵への道を踏み分けて行くが,道はけわしく,生い繁げる荊は旅人の足を拒む。

  そこへ一人の老翁(実は崇徳上皇の霊)が現れ「貴僧は何方より来られたか」とたづねる。
西行は「拙僧は都の嵯峨の奥に庵をむすぶ西行と申す者,新院がこの讃岐に流され,程なく亡くなられたと承り,おん跡を弔い申さんと思い,これまで参上した次第。 何とぞ,松山のご廟所をお教え願いたい」と案内を乞う。
 やがて二人は「踏みも見えぬ山道の岩根を伝い,苔の下道」に足をとられながら,ようやくご陵前にたどりつく。
院崩御後わずか数年にもかかわらず,ご陵墓の余りの荒廃ぶり。
ご陵前には詣で仕うる人もなければ,散華焼香の跡だに見えない。
西行涙ながらに

 よしや君むかしの玉の床とても叡慮をなぐさめる相模坊かからん後は何にかはせん

西行が院に捧げた,畢生の鎮魂歌である。
 西行は老翁に向かって「院ご存命中は都のことを思い出されてはお恨みのことが多く,伺候する者もなく,ただ白峯の相模坊に従う天狗どもがお仕えするほかは参内する者もいない」と言い,いつしか木影にその姿を消してゆく。
 ややあって何処からともなく「いかに西行 これまで遙々下る心ざしこそ返す返すも嬉しけれ 又只今の詠歌の言葉 肝に銘じて面白さに いでいで姿を現わさん・・・・・」
との院の声。
忽ち御廟しきりに鳴動して院が姿をあらわす。
院は西行との再会を喜び,「花の顔ばせたおやかに」衣の袂をひるがえし夜遊の舞楽を舞う。
こうして楽しく遊びのひと時を過ごされるが,ふと物憂い昔のことどもを思い出してか,次第に逆鱗の姿へと変わってゆく。
その姿は,あたりを払って恐ろしいまでの容相である。
  やがて吹きつのる山風に誘われるように雷鳴がとどろき,あちこちの雲間・峰間から天狗が羽を並べて翔け降りてくる。
そして

そもそもこの白峯に住んで年を経る相模坊とはわが事なり さても新院は思わずもこの松山に崩御せらる 常々参内申しつつ御心を慰め申さんと 小天狗を引き連れてこの松山に随ひ奉り,逆臣の輩を悉くとりひしぎ蹴殺し仇敵を討ち平げ叡慮(天子のお気持ち)を慰め奉らん”と,ひたすら院をお慰め申しあげるのである。
 院はこの相模坊の忠節の言葉にいたく喜ばれ,ご機嫌もうるわしく次第にそのお姿を消してゆく。
そして,天狗も頭を地につけて院を拝し,やがて小天狗を引き連れて,白峯の峰々へと姿を消してゆく。

以上が謡曲「松山天狗」のあらましである。
場所は讃岐の国の松山,時は鎌倉初期とある。