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白峯天狗伝説 首領は相模坊

コスモス
印刷用ページを表示する 掲載日:1998年11月13日更新
坂出市から国分寺町,さらに高松市へと讃岐の北辺を東西に連ねる五色台は,霊場として早くから開かれた連山である。不動明王堂(お籠り堂)
台上には四国霊場第八十一番札所の白峯寺,同八十二番札所の根香寺(ねごろじ)をはじめ吉水寺(廃寺),馬頭観音院(同)など各峯に点在する堂塔は,いずれも修験堂(役小角を祖とする日本古来の山伏信仰)の練行者達の拠点となった霊刹であった。
 今に残る寺屋敷の地名や寺跡,旧青海村の不動明王堂(お籠り堂)や行場の跡もそのうちの一つである。
このように堂塔・旧跡などからして,この五色台には早くから修験道行者(山伏)や,これら行者の統括者(首領)が入山していたであろうことが考えられる。
高松藩の儒学者である中山城山はその著「全讃史」のなかで「松山ニ神有リ 其ノ坊ヲ相模坊ト曰フ 甚ダ威霊有リ 其ノ余ノ仙霊甚ダ多シ 窟ヲ宅ニシテ此ニ住スト云フ 長寛以来崇徳帝陵有リ 世人殊ニ之ヲ崇ム」とあり,相模坊の威霊についてふれている。

 この白峯山の相模坊が,いつごろ山移りしてきたのかは不明である。
しかし,謡曲松山天狗(永享十二年=1440年),と同じ室町時代の初期頃の作といわれる天狗ものに「花月」があり,その中に白峯山の相模坊についてふれられている。
それによると,九州の英彦山(福岡県)の麓で天狗にさらわれた少年花月を,その父が出家僧となって諸国を探し求め,ついに京都で再会することができた。
その時少年が,天狗に連れて行ってもらった山々について語る場面がある。
その中に「讃岐には松山降り積む雪の白峯(相模坊)・・・・」とある。
つまりこのことから,室町時代の初期頃には,既に白峯山には相模坊が天狗の首領として君臨していたことがわかる。

 この白峯山の相模坊は,かつて相模国(神奈川県)の大山に君臨した大行者で,その名を相模坊と称した。
のちいつのじだいにか讃岐の白峯山に移って白峯山の行者集団を統括するとともに,聖地白峯山の守護者となったものと思われる。

 ちなみに,相模大山の天狗は伯耆坊(ほうきぼう)と呼ばれているが,この伯耆坊は元伯耆大山(鳥取県)に止住した行者の首領(天狗)で,相模大山からその後釜に移り住んだといわれている。

 いずれにしても,相模坊が相模の国から讃岐の白峯山に移ったのは,前述のとおり少なくとも室町時代初期以前のことと想定される。
そしてその時機は,崇徳上皇と相模坊との深い係わりからすると,上皇崩御ののち白峯に陵墓が営まれた平安末期頃には,早々に山移りが行われ,行者集団を統轄しながら,聖地白峯御陵の祭祀に奉仕していたのではないかと想像される。