ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

悪魚退治

印刷用ページを表示する更新日:1998年10月23日更新
むかしむかし,坂出の町が海の中で,江尻や福江のあたりまで波が打ち寄せていた頃の話です。
海のイラスト  槌の戸海,今の王越の沖あたりに大きな魚が現れて,おいしい魚をとっている漁船や美しい瀬戸の海をながめながら船旅を楽しんでいる旅人,また都へ運ぶ荷物をいっぱい積んだ船などを次々と襲い,船もろとも人がのまれ船頭や漁師たちは,船を出すことも出来ず大変困っていました。
「オーイ聞いたか。よんべも馬返しの沖におーけな魚が出よったんじゃとー」
「おらも聞いたぞ おばけのようじゃとー」
「そりゃーおおきょいんじゃそうな」
 塩飽やこのあたりの船頭や漁師たちは,腕がよく,流れの激しい瀬戸の海も大波の荒れ狂う嵐の海も平気で船を出していましたが,しかしこの頃は海に出るのをたいそう恐ろしがるようになりました。
「何艘のまれたんや」
「よんべは,かわいそうに五郎作の船と,もう一艘は瀬居の荷船じゃ 言よったぞ」
「2艘もか かなわんわ」
「もう今までに何艘やられたか,よめんのー」
「おとろしこっちゃ どうぞならんのかのー」
「こなんしょったら,おらたち漁師はかつれ死んでしまうがのー
 毎日のように,船や人が襲われ,漁師は漁にも出られず,浜の人たちは,その話で持ちきりでした。
 村のとしよりたちが集まって,この悪魚を何とかして退治してもらうように,この村を治めている庄屋さんにお願いに行きました。
 あくる朝,村の辻に立て札が立ちました。
「エート こりゃ何と書いてあるんじゃ」
「なぁんだ おめぇ読めんのか 何々【人々を悩ましている悪魚を退治した者には,一年の間,年貢を免じてやる】 」
「へぇー 年貢をこらえてくれるんか そりゃええけど,魚に食われて死んでしもたら,もともこもなくなってしまうがな」
「わしも まだ死にとうないわ」
 勇敢な船頭も漁師も誰ひとりとして,悪魚の退治を申し出る人はありませんでした。
 この話が,都におられる景行天皇のおみみに入りました。
 天皇は大変心配され,日本武尊命の子どもで武勇に優れた武殻王(たけかいこおう)を呼び出しました。
天皇は,「武殻王,お前は都で一番勇敢な若者だ 今瀬戸の海に悪魚が現れて,人々が大変難儀をしている 早く讃岐に行き,悪魚を退治して村人達を助けてあげなさい」
といいました。
王は,「はい,さっそく行って必ず悪魚を退治してまいります。」といって武殻王は船に乗って都をあとにしました。
 金山に来られた武殻王は,すぐ浜の人たちに悪魚のようすを聞いてまわりました。
 思ったよりも大きい悪魚なので,大きな船と大勢の人で立ち向かわなくてはと考えました。
「これこれ この山に何百年もたつ太い木はないか」
 とたずねました。
「へぇ 金山の権現さんに何年やわからんけど ここらへんで一番おっきょい木がはえとります」と老人がいいました。
「その木を切ってもよいか」
「へぇ どうぞその木を使こうて悪魚をやっつけてくだされ」
 武殻王は山に入り大人五人が手を延ばしてやっとかこめる程の大木を見つけ出しました。
 そして村の若者たち大勢の力を借りて切り倒し,急な坂道をエンヤコラ,エンヤコラと引きずったり,深い谷をヨイショ,ヨイショとかついで渡ったりして浜辺まで運び出しました。
浜辺におろされた大木は,武殻王の指図で中をくり抜き大きな船を造りました。
 そして船頭や漁師や山で働く若者の中から,うでのよい船頭と強い兵士88人を選びました。
兵士たちは,それぞれ自慢の刀や槍を持って船に乗り込みました。
「オーイ 船が出るぞー」
 村の人たちは,みんな浜に出て無事悪魚を退治できますようにと祈りながら見送りました。
 武殻王の船は,今まで見た事もないような立派な船でした。
 船首には,龍の頭を彫り,大きなタイマツを赤々と燃やし,船頭たちがかけ声をあわせて漕ぎ出すと,船は海の上を滑るように走りました。
エンヤコラ,エンヤコラ
 乃生の岬をまわった頃,無気味な海鳴りの音とともに黒い雲が広がって,今まで静かだった海に大波が立ち始めました。
 山のような大波が押し寄せて,武殻王の大きな船も木の葉のようにゆれました。
 ピカッと光ったイナズマの光の中に,黒い大きな魚の姿を見つけました。
「出たぞー」 「おばけだー」
船を飲み込む悪魚  出たのです。《えい》という魚のおばけです。
 山のような波の中を船の方に向かって,一直線に突き進んで来ました。
 そして,大きな口をパクッと開いたと思ったとたん,武殻王も船頭も兵士もみんな船もろとも悪魚の口の中に吸い込まれて行きました。
 この時,船のタイマツがパッと火の粉を散らして燃え上がり,悪魚の喉を焼きました。
 あまりの熱さに悪魚ものたうちまわり,大暴れをしました。
 悪魚の腹の中へ振り落とされた兵士たちは,この時とばかり,刀や槍を振るって真っ暗な腹の中をつついたり切ったりして,力の限り戦いました。
 波の間を浮いたり沈んだりしていた悪魚も,力尽きてとうとう浜辺に上げられてしまいました。
 武殻王が腹をたち割って,悪魚の腹の中から出てこられたのが福江町でした。
 そして魚の腹の上によじ登って見ると,頭は今の文京町,坂出高校の校庭の松林あたりにあり,尾は,遙か江尻のあたりに見えました。
退治された悪魚  今の福江町は《えい》という魚の腹のあった所,また江尻町は《えい》の尾,すなわち尻のあった所から名付けられたと云われています。
 武殻王は,悪魚の腹の中から船頭や兵士たちを次々と助け出しましたが,悪魚の強い毒気に当たって,みんなぐったりと死んだようになっていました。
 浜の人々は気付けの薬草を飲ませたり,頭を水で冷やしたり身体をさすったりして看病しましたが,なかなか気が付かず困っていました。
 その時,どこから可愛らしい子どもが現れて,いっぱい水の入った壺を武殻王に差し出しました。
 一口飲んだ王は,「これは何とおいしい清水だ 身体が清められるようだ」
といって,ぐったりしている船頭や兵士たちの口の中へ少しづつ流し込みました。
 ところがどうでしょう。
 どんな看病でも良くならなかった船頭や兵士たちは,たちまち元気を取り戻しました。
 この清水は,やそばの水で88人の船頭や兵士の命をとりとめたというところから,八十八(やそば)の霊泉と呼ばれるようになりました。
 また,清水を持って現れた子どもは,福江町に祀られている横潮大明神だったとも云われています。
 武殻王のおかげで,瀬戸の海は平和を取り戻しました。
 村人たちは大喜びで,武殻王に何度も何度もお礼をいいました。
 天皇は,王の武勇をたたえてこの地方を与えました。
 武殻王は,この悪魚は瀬戸の海の主であろうと,あとの祟りを恐れて,頭のあった松林の中に魚御堂を建てて悪魚の霊を祀り,林田の綾川の河口に住んでこの地を治めました。おわり 川津町に伝わる城山長者の話は,武殻王の子孫だと云われています。