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昔の写真(昭和・戦前)

印刷用ページを表示する更新日:2006年12月1日更新

昭和時代(戦前)

炊事を支えた“水売り”バケツ1杯5銭(昭和初期)

 昔,坂出では水売りが行われていました。これがいつ始まったかは明らかではありませんが,上水道が通水した昭和11年頃まで行われていたようです。商店用の水源は金山井戸3つで,そのうち2つは現存。昭和初期,業者約10人が荷車に3石(540リットル)入りのオケ2つを積んで売り歩いたと云われています。
 バケツ1杯(約18リットル)が2~5銭。鎌田酒造は,専用の井戸を持ち,終戦直後頃まで井戸の水で酒を造っていました。

水売りの写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

さかえ橋竣工式典(昭和3年)

 坂出市で唯一の可動橋である「榮橋」は,大正4年,渡米して可動橋等の研究をしてきた,山本卯太郎「山本工務所」の設計であると云われています。
 山本卯太郎が設計した可動橋は,日本全国で7つ判明しています。(山本式路開橋)
 そして昭和3年7月26日,当時の坂出町長島田恭平は,山本卯太郎に感謝状を贈っています。
 残念ながら,「さかえ橋」自体の写真はありません。さかえ橋竣工式典の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

西築港埋め立て(昭和4年)

坂出港の西にあり,現在築港町となっています。
坂出港について,詳しく知りたい方は,「坂出港」のページを観て下さい。正面に見える島は,瀬居島です。

西築港埋め立ての写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

西埋立地(築港)(昭和4年)

 現在,築港町がある岸壁の埋め立て風景です。
 真ん中に見える山は,飯野山(讃岐富士)で,左側が金山,右側は角山だと推測されます。

西埋立地(築港)の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

琴平急行電鉄開通(昭和5年)

 昭和3年10月30日に,琴平急行電鉄株式会社が創立。 翌4年4月,敷設工事に着手し,昭和5年4月7日,琴平-坂出間が開通しました。
所要時間は36分で,25分毎に発車,運賃は25銭でした。
市内の停留所は,坂出駅前・女学校前(坂高東側)・川津(連尺)の3ヶ所でした。(ちなみに宇多津は津ノ郷)
 昭和19年1月,戦争激化のため全施設を軍占領地セレベスに送るため営業を停止しました。
 十数年前までは,路線跡に面影を残していたんですが,現在は名残は見あたりません。

琴平急行電鉄の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

琴平急行電鉄 坂出駅(昭和6年頃)

 現在の坂出駅南側に,昭和5年4月7日に「琴平急行電鉄」が開通し,昭和18年1月10日に戦争のため閉鎖されました。市内の駅(停留所)は,坂出駅,女子師範学校前(現:坂高),連尺(川津),津ノ郷(宇多津町)を経て,琴平まで開通していました。
 写真右側は,当時の国鉄坂出駅です。

坂出駅の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館


沙弥島遠望(昭和15年)

現在は,沙弥島のあたりまで埋め立てられ工業地帯や瀬戸大橋で賑やかになってますが,埋め立てる前は静かな感じがします。
陸地から沙弥島までは,水深が浅く,何度も船が座礁していたようです。
 沙弥島右上の島は与島で,左側は本島です。
 坂出市側の聖通寺山山頂から撮ったものです。
沙弥島を望む風景写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

西一文字(昭和16年)

 たぶん,今の西岸壁のあたりだと思われます。
正面に見える山は,聖通寺山です。西一文字の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

坂出港 西岸壁(昭和16年頃)

坂出港の西にあり,現在築港町となっています。
先週掲載していた,西築港埋め立ての写真と同地区です。(完成時?)
詳しくは,バックナンバーを観て下さい。
 坂出港について,詳しく知りたい方は,「坂出港」のページを観て下さい。
左中に見える島は瀬居島,右中の山は五色台です。
坂出港 西岸壁の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

東大浜埋立(昭和17年)

 写真でも分かるように,現在この地は東亜合成が建っており,瀬戸大橋が完成する前まで,国鉄坂出港線が港まで延びてました。東大浜埋立の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館

六林池遠望 青海町鎹(撮影年不詳)

 現在の青海町鎹地区から,六林池方面(北方面)を撮影したものと思われます。
 たぶん,大正~昭和初期頃に撮影したものでしょう。
六林池遠望の写真
写真所蔵:坂出市郷土資料館