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第二章 「暗闇での思考 ~歩きながら考えよう~」

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新

経営改善ではなく経営健全化を

 石原慎太郎氏は文芸春秋95年7月号に投稿した論文「何を守り何を直すか~いまこそ問う~国家の意思を決めるのは誰か」で、日本の政治のあるべき姿・果たすべき役割が問われていた。改善とは「悪いところを改めて善くすること」であり、何が悪く、何が良いのかを認識することが必要である。この考え方は、問題が個別的あるいは限定的な場合に有効であり、その解決には個(職員や各部門)の最適化を図ることである。
 当時は職員の意識を含め病院経営に関わるすべてが問題であり、自治省からは病院の存在自体を問われており、病院はいわば意識不明状態で心肺停止直前の患者であった。血管や気道の確保あるいは昇圧剤の投与など生命維持のための救急救命処置は当然のことである。しかし、一つ一つの処置が的確で救命し得たとしても、脳死状態に陥れば患者や家族にとってそれらが意味があったかは疑問である。これと同様に病院運営においても問題点を認識し、一つ一つ解決して善くすることも大切ではあるが、個々の部位が良好になったとしても全体が不良では問題は一層複雑化するのではないかという心配があった。
 そこで、ここの最適化すなわち改善を図りつつも、病院全体の最適化を図ることを優先した。経営改善は利益を出すために何をするのかという目先の事例であり、対症療法である。病院に存在する本質的な問題の解決をもたらさない経営改善では意味はない。重要なのは、基本理念の達成に向けて病院運営に関わるすべての事柄のはじめからのやり直し・見つめ直し、つまり根治療法であり、これこそが市立病院にとって必要な姿、すなわち経営健全化であると考えた

良質な経営なくして良質な医療なし 良質な医療なくして良質な経営なし

 たとえ公立病院であっても公共性の発揮は勿論のこと、経済性の確保は病院企業として不可欠である。地域医療の中核となっている病院の経営悪化は、その地域の医療水準の低下につながり、単に病院だけの問題にとどまらず、地域住民の損失となる。それ故、「経営の安定なくして良質な医療なし」という大原則を病院全職員に認識させ、経営参画意識を醸成することが重要である。そのためには、病院の進むべき方向に職員が共通の認識と価値観を持ってベクトルを合わせることが必要である。経営も医療と同様に専門性や機能性を高めることによって良質なものとなる。しかしながら、医療と分離した状態ではいくら経営の専門性を高めても、それは組織における専門性の細分化にほかならず、病院運営を一層複雑化させる原因となる。すなわち、医療と経営は分離するのではなく一体となることが必要である。そうなることによって良質な経営から良質な医療が、また良質な医療から良質な経営がもたらされるのである

全職員対象の意識調査

 巨額の不良債務が生じたことや日常業務に関し、職員がどのように考えているのかを知る目的で、「私たちの病院についてどう思いますか?」と題して、

  1. 現在の職場における反省点
  2. 今後どうすべきか

上記の二点について全職員に意見を求めた。院長としては、職員一人一人が過去・現在を見つめ直し、患者から信頼され、働き甲斐のある病院になるための謙虚で積極的な意見を求めたつもりであった。しかし、その結果は惨澹たるもので、自分達の反省や前向きな意見には程遠く、医師は首脳陣に対する、看護婦など医療職は医師に対する非難に終始していた。特に看護婦の意見の中で「市立病院に入院すると殺されるという噂がある」を見るにいたっては、二の句の告げようがなく、このままでは市立病院の終焉も遠からぬと思った。

この意識調査から浮き彫りとなった基本的問題事項は、

  1. 病院の存在意義が不明で、基本理念がない
  2. 明確で具体的かつ達成可能な目標提示がない
  3. 業務や経営の管理とその評価ができていない
  4. 病院予算作成や事業計画が事務局主導で、医療職が関与しない
    などであった。これらはまさに病院が抱えていた様々な問題の本質をついており、その解決なくして病院の再生はあり得ないと考えた

新たな日常性の構築~かわらなきゃ~

 私の学生時代は東大安田講堂封鎖事件に代表される大学紛争の真っ只中にあり、出身の徳島大学という地方の大学にも改革の嵐が吹き荒れていた。運動部の主将として部活動に明け暮れていたノンポリの典型であった私に、全共闘の友人が熱く語った「おまえは日常性に埋没している」、は常に脳裏から離れることはない。市立病院に責任者として赴任し、いの一番に感じたのがこの「日常性の埋没」であった。周囲の環境が変わろうと日々の生活に甘んじ、仕事のやり方も旧態依然、医療人や公務員になった時の初心も忘れ、累積赤字が巨額になろうと我関せず、ひたすら平穏な日々を過ごし、自らの行為に何の疑問も抱かない「日常性への埋没」こそが病院低迷の現況であった。この日常性を打ち破ること、すなわち、新たな日常性を構築しようとする気持ち「かわらなきゃ」こそが病院改革であり経営健全化への道である

率先垂範~鬼に徹する~

総合受付での塩谷院長 総合受付での塩谷院長

 いくら出勤時間や診療開始時間を守ろうとか、患者の立場に立った医療を実践しようと訴えても、そういう本人が実行しなければ賛同は得られない。当時の管理職は職員が遅刻しようも見て見ぬふり、患者に怒鳴っても知らん顔。基本的なルールを守ろうとする姿勢に欠けていた。
 そこで、悪いことは悪いと物申し、模範を示すことにした。週三回の外来診療・週二回の病棟回診の合間、午前8時から9時までの週三回病院正面玄関で総合案内(写真左)に立つことにした。診療相談・病院案内・苦情受付などを行うことで、患者側から見た病院の抱えている様々な問題を認識することができた。救急車を玄関の外にまで向かえ出ることや、歩くことの不自由な患者を車椅子に座らせたり、自転車のタイヤに空気を入れたりもした。これらは、患者に対して病院が変わろうとしていることを示す効果もあり、また職員に対しても院長がそこまでするのかと認識させることに有効であった。総合案内に立つことは意外な副産物をもたらしてくれた。それは職員が何時に出勤するのかを監視できることであった。いくら遅刻をするなと指導しても、目の届かないところでそれは常習化していた。
 堂々と遅れて出勤する職員には、彼等の立場を考えればそっと部屋に呼んで注意する方法もあるが、あえて患者の目の前で注意した。それを繰り返すうち、遅刻は皆無となった。また、不都合な問題に対し述べる職員の主張がたとえ正しく感じられ、心情的に理解できたとしても、それが病院の理念にそぐわないものであれば同意しないなど、いろいろな面で鬼に徹することにした。まさに「リエンジニアリング」が始まった

医師の入れ替え~こんな勤務医はいらない~

こんな勤務医はいらない! 医師は社会のリーダーとなるべきで、それによって尊敬される地位を与えられている。いくら時代や医療制度が変わろうとも、病院運営の原動力が医師であることには変わりはなく、それゆえ病院職員は良きにつけ悪しきにつけ医師の影響を受けやすい。医師の資質に問題があれば当然の結果として病院は低迷する。
 「こんな勤務医はいらない」は管理職にある医師達を見て感じたことのまとめである。医師である前の人間としての挨拶・言葉遣いなどの基本的マナーに欠け、時間・規則を守れず、同僚や他の職員との協調性がないことはまだしも、患者を怒鳴りつけたり、救急診療を断わったりと、患者に対して誠実でなく、技術・知識の向上への意欲もなく、専門性もなく、それでいて総合的に患者を診ることもできず、また反省心もなく謙虚でもない、さらには経営のために医療を行うのではないといって医療保険制度を理解しようとせず病院運営にも貢献しない、そんな医師のもとでは看護婦をはじめとした病院職員の志が荒廃するのは当たり前であった。
 当院は開設当初からすべての医師を県外の国立大学に依存していたが、いつのまにか派遣される医師の総合的レベルは低下していた。たとえ、病院の設備や機能が貧弱であっても、明確な目的を持って勤務することはできるはずである。自分で荒れ地を耕し、畑を作り、種を蒔き、そして収穫しようという気構えを持とうとすれば持てたはずである。たとえ短期間の派遣であっても、病院の理念を理解して、多少ともその実現に向けて協力しようと思えば、いくらでも貢献できるはずである。いくらこのことを説いても理解せず、また大学医局へ病院の目指すべき方向とその熱意を訴えても理解してもらえず、94年4月にはほとんどの診療科の医師派遣を香川医科大学に変更した。医師を送り出してまだ10年の新設医科大学ではあったが、派遣されてきた若手医師は病院理念を理解し、またそれぞれが目的を持って業務を遂行してくれていることは院長として存外の喜びであった。


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