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第一章 「暗黒世界へのご招待 ~天の声~」

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新

総合病院 坂出市立病院

病院全景 坂出市立病院は1947年に開設し、今年(1997年)で50周年の節目を迎えた。病床数216床・8診療科・3病棟から構成され、へき地医療中核病院・病院群輪番制病院・救急病院・広域救護病院等の指定を受けている。 

第一章:暗黒世界へのご招待・・・天の声!

赴任の経緯

 91年7月末に突然、恩師である当時の香川医科大学入野昭三学長より、「松浦稔明坂出市長が坂出市立病院院長を求めている。塩谷君が適任と推薦したが、どうするかね」とのお話を承った。「どうするかね」は「行きなさい」であり、大学としての支援を約束して頂いた以外には細かいことは伺わず、学長の声は「天の声」として坂出市立病院への赴任を即決した。赴任直前の8月末になってようやく坂出市から収入役、病院から事務局長が挨拶に来られた。病院が巨額の不良債権を抱えていることは無論、経営不振であることさえ知らされず、「院長就任を承諾して頂きありがたい」と言われただけであった。89年の市長選挙で初当選した松浦市長は累積赤字に対し、当時の病院首脳陣の立てた再建策を見通しが甘いと判断、医師の派遣元であった県外の国立大学に院長の交代を申し入れたが、あっさりと断わられたため地元の香川医科大学に派遣を要請したという経緯があったという。後日談では、日本一の不良債権がある病院には常識人であれば院長として赴任するはずはなく、赤字のことは話さないと決めていたとのこと。「天の声」はまさに暗黒世界へのご招待であった

赴任当時の坂出市立病院

(1)経営状況 

 院長として初出勤した91年9月2日、市長及び事務局長から初めて病院の経営状況の説明を受けた。その内容は、

  1. 79年から12年連続の医業収支の赤字が続いていること
  2. 88年には不良債権が約15億円にのぼったため、自治省より第三次病院事業経営健全化措置対象団体に指定され、92年までの5年間でそれを解消する計画があること
  3. しかし計画どおりに解消は進まず、逆に赤字は毎年大幅な増加を続け、累積不良債務額は約25億円になっていること
  4. 不良債務比率は100%を超え、全国自治体病院の中でワースト一位であること
    などであった。

 また自治省からは、

  1. 単に病院だけにとどまらず、坂出市全体の問題と認識すること
  2. 昇給延伸・特殊勤務手当のカットなどの強力な措置を講ずること
  3. 増収策は無論のこと、経費削減の検討に重点を置くこと
  4. 自治省は経営健全化措置対象団体の取り消しを考慮しており、準用再建の適用もあり得ること
  5. 病院の収縮あるいは廃止を含めて検討すること
    など非常に厳しい指導を受けていた。
    院長就任前年の90年度の経営指標は、病床利用率71.4%、人件費比率77.8%、医業収支は過去最悪の約3億18百万円赤字の医業収支比率84.5%で、民間病院であれば倒産していても不思議ではない状況であり、藁をもすがる気持ちで院長を迎えたのだと知り、とんでもない暗黒世界へ足を踏み入れてしまったものだと、しばし唖然とした。

(2)病院職員の日常

 院長着任当日に医局へ挨拶に出向いたところ、誰一人として立ちあがろうとせず、ある医師にいたってはソファーに寝転がったままでの対応であった。ほとんどの医師は出勤時間や診療開始時間を守らず、そのことに対して注意する人もいなかった。救急患者を断わるのは日常茶飯事、なぜ夜遅く搬送してきたかと救急隊員や患者にまで怒鳴る始末で、良質な医療とは無縁の、まさに無法地帯であった。内科で診断した手術適応症例は他の病院の外科に紹介するなど、診療科の連携や相互の信頼感に乏しく、医療レベルはとても公立病院だと胸を張れるものではなかった。
 このような医師の体質は当然医師以外の職員にも波及し、権利はしっかりと主張するが、当たり前の義務を果たそうとせず、それぞれが言いたい放題したい放題であった。医療法人・公務員としての使命感も見られず、親方日の丸体質に染まり、赤字額が増加しようと医療環境が悪化しようと、どっぷりと日常性に埋没していた。その結果、病院には澱んで沈滞した空気が充満し、住民からの信頼を失い、まさに落ちるところまで落ちた感じであった。


第二章


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