4)松山の津
5)雲井御所
6)御遊所池
7)岩根の桜
8)姫塚
9)長命寺跡
10)鼓岡神社(擬古堂/ほととぎす塚)
11)内裏泉
12)菊塚
13)盌塚
14)柳田
15)八十場の清水
16)高家神社
17)白峯寺(頓証寺殿/玉章の木)
18)白峯御陵
19)青海神社
20)白峰宮
21)稚児ヶ嶽(稚児ヶ滝)
22)天皇神社




 
 
 松山の津
 

1156(保元元)年7月,保元の乱に敗れた崇徳上皇は,讃岐の地に配流にされ、最初に松山の津に着いたそうです。松山の津については,当時の松山郷の海岸付近といった漠然としたことしかわかっていません。「津」には港という意味があり,この辺りは当時入海で,松山の津は府中の国府に通じる重要な場所であったと考えられています。
1986(昭和61)年に刊行された『綾・松山史』では,港の自然な立地条件などを検証した結果,雄山の北東の麓を松山の津と推定しています。この地には松山津の石碑が,『綾・松山史』の編纂記念として建てられています。

 
坂出市高屋町
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坂出駅から車で約15分
琴参バス王越線高屋局前下車徒歩約7分
5分



 雲井御所
 

崇徳上皇が讃岐の地に配流された当時,まだ上皇の御所ができておらず,国府に勤める当地の庁官であった綾高遠の館を仮の御所としたといわれています。
この仮の御所に,上皇は約3年間滞在されましたが,都とは違って草深い田舎の生活ゆえに淋しく,都を恋しく思い,
ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて
と詠みました。この歌からこの仮の御所を雲井御所と呼ぶようになったといわれています。
綾川の洪水などで,雲井御所の場所がわからなくなっていましたが,1835(天保6)年に,高松藩主松平頼恕が,場所を推定し,現在の林田の地に雲井御所之碑が建立されました。

 
坂出市林田町
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坂出駅から車で約10分
琴参バス王越線雲井橋下車徒歩約6分 
5分



 御遊所池
 

崇徳上皇は松ヶ浦の景色を大変気に入り,雲井御所に滞在していたとき,しばしばここを訪れ,砂浜の貝を拾ったり,涼をとったりしていたそうです。
大正年間末期まで池のほとりに,「崇徳院御遊所池」と刻まれた高さ1メートルほどの碑がありましたが,これは天保年間に盛田勝右門が私財で建てたものだったそうです。
1925(大正14)年11月に上皇聖跡敬仰会と町民が一体となり,池の周囲に柵を作り,碑を建てました。

 
坂出市林田町
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坂出駅から車で約15分
琴参バス王越線浜西下車徒歩約3分
5分

 岩根の桜
 

かつては白峰宮の近くにある岩のそばに見事な桜の木があり,崇徳上皇が雲井御所に滞在していた時,鑑賞に来ていたといわれています。

 
坂出市西庄町八十場
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八十場駅から徒歩で約3分
5分

 姫塚
 

崇徳上皇が雲井御所に滞在中,何かと不便の無いように,綾高遠の娘である綾の局が上皇の身の回りの世話をしていました。やがて,綾の局と上皇の間に皇子と皇女が誕生したといわれています。
皇女は幼くして亡くなったといわれており,姫塚はその皇女の墓であるとされています。
長命寺跡の西方にある田んぼの中にあり,壁に囲まれ石碑が建てられています。

 
坂出市林田町
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坂出駅から車で約15分
琴参バス王越線雲井橋下車徒歩約10分
5分

 長命寺跡
 

江戸時代の地誌『綾北問尋鈔』によると,長命寺は450メートル四方の境内地に仏閣が並ぶ寺院であり,こここそが雲井御所であったのですが,長曽我部の兵火によって焼失したとされています。
ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて
の歌も,長命寺の柱に書かれたもので,長曽我部の兵火が及んだときも,その歌の書かれた柱だけが,焼け残って立っていたといわれています。
現在は,1917(大正6)年に建立された長命寺跡碑が,田んぼの中に建っているだけです。

 
坂出市林田町
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坂出駅から車で約15分
琴参バス王越線雲井橋下車徒歩約8分
5分



 鼓岡神社(つづみがおかじんじゃ)
 

ここは,崇徳上皇が御所とした木ノ丸殿があった場所です。雲井御所で約2年過ごしたあと,この地に移り約6年。上皇は都からの便りを待ち望みながら,1164(長寛2)年崩御されました。
崩御の後,小さな祠を建て崇徳上皇を祀ったのが鼓岡神社です。ここには,かつて上皇が住んだ木ノ丸殿をまねた擬古堂が建立されています。
また,神社の北には,上皇の飲料水として使用していたと伝えられる井戸(内裏泉)があります。

 
坂出市府中町乙5116
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讃岐府中駅から徒歩で約11分
15分

 擬古堂(ぎこどう)
 

鼓岡神社の石段を登った右手にあるこの建物は, 1913(大正2)年崇徳天皇750年祭の記念事業として建設されたものです。讃岐での上皇の御所は木ノ丸殿と呼ばれ,とても粗末なものであったようです。この建物も柱は丸木,棰は皮付きの木材を用いるなど当時の雰囲気を擬して造られているため,擬古堂と名付けられています。

 
坂出市府中町乙5116
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讃岐府中駅から徒歩で約11分
15分

 ほととぎす塚
 

鼓岡神社の石段の脇に小さな供養塔があります。これは鼓岡で崇徳上皇が過ごされていたころ,初夏に鳴くホトトギスの鳴き声を聞いて都をしのばれ
鳴けば聞く 聞けば都の恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす
と詠みました。ホトトギスはこれを聞いて,さえずるのをやめたという伝説が残っています。(または里人がホトトギスを追い払ったという説もあります。)
この逸話から鼓岡の周辺ではホトトギスが鳴かなくなったといわれ,昔はこの地を「なかずの里」と呼んだといわれています。

 
坂出市府中町乙5116
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讃岐府中駅から徒歩で約11分
15分

 内裏泉(だいりせん)
 

鼓岡神社のすぐ北にあり,崇徳上皇が木ノ丸殿に住んでいた際に使用した井戸といわれています。この井戸は内裏泉と呼ばれ,この水を使うと目が悪くなるといわれ,地元の人も使わず大切にしていたそうです。
地形上も谷筋に位置しているためか,近代の大旱魃にも枯れなかったといわれています。

 
坂出市府中町
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讃岐府中駅から徒歩で約12分
5分

 菊塚
 

崇徳上皇は綾の局との間に生まれた皇子を顕末(あきすえ)と名付け,菊の紋をつけて綾の局の父,綾高遠に賜り,綾家の跡継ぎにしたといわれています。この皇子の墓が,鼓岡神社の北にあり,菊塚と呼ばれています。
正方形の檀の上に石を積み上げた塚で,現在は民家の庭先に位置しています。

 
坂出市府中町
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讃岐府中駅から徒歩で約13分
5分

 盌塚(わんづか)
 

鼓岡神社の北方で,菊塚の北東の位置にある畑の中に,「盌塚」と刻まれた自然石が残っており,崇徳上皇の使っていた食器を埋めた場所だといわれています。
この辺りは,讃岐の国府が置かれた場所と考えられ,発掘調査でも当時の土器や陶器などが数多く出土しています。

 
坂出市府中町
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讃岐府中駅から徒歩で約14分
5分

 柳田
 

JR予讃線の線路沿いに,小さな石碑が建っています。ここは崇徳上皇が殺害された場所と伝えられ,柳田と呼ばれています。
崇徳上皇は1164(長寛2)年に崩御しますが,その死因については様々な説が残されています。江戸時代の地誌『讃州府誌』には,二条天皇が上皇の暗殺を命じ,武士の三木近安が鼓岡を襲撃したと記されています。近安の襲撃の際,上皇は大きな柳の樹の穴に身を潜めましたが,その姿が池の水面に映ってしまい,見つかって殺害されたとされています。
その後,この地に柳を植えても,枯れてしまい決して育たなかったと伝えられています。

 
坂出市府中町
規定なし 無 無料 

讃岐府中駅から徒歩で約12分
5分

 八十場の清水
 

1164(長寛2)年8月26日,崇徳上皇は鼓岡で崩御されます。上皇の崩御は直ちに都に伝えられ,遺体の処置について都からの指示を待つことになりました。
夏の暑い時期に,遺体が腐敗することを避けるため,古来より霊水と伝えられている八十場の清水に浸したといわれています。
この清水は,坂出に伝わる悪魚退治の伝説にも登場する霊水でもあり,悪魚の毒気に倒れた八十八人の兵士がこの水を飲んだことで蘇生したことから,弥蘇場の水とも呼ばれます。(安庭・八蘇場・八十場・八十八などのいろいろな字が当てられて記されています)別名野澤井とも言い,夏には涼を求め多くの人が訪れ,名物のところてんとともに親しまれています。

 
坂出市西庄町1635-4
規定なし 無 無料 

八十場駅から徒歩で約7分
15分

 高家神社
 

崇徳上皇の遺体は,都からの指示により,八十場の清水から白峰山まで運ぶことになりました。遺体を運ぶ途中,いったん棺を休めていたところ,にわかに雷鳴をともなう風雨になり,棺を置いた六角の大きい石の上には,血がしたたり落ちたと伝えられています。
村人たちはこれを恐れ,上皇の葬祭の後,高家神社の境内に石を納め,上皇の御霊を合祀しました。このことから高家神社は,別名「血の宮」とも呼ばれています。

 
坂出市高屋町878
規定なし 無 無料 

坂出駅から車で約20分
琴参バス王越線高屋下車徒歩約8分
15分

 白峯寺
 

白峯寺は瀬戸内の景勝地・五色台の山腹にある真言宗の寺で,四国霊場第八十一番札所です。崇徳上皇の廟である他,隣には御陵もあり,上皇ゆかりの寺として知られています。白峯寺縁起によると,弘法大師と智証大師によって開基されたと伝えられています。

 
坂出市青海町2635 (白峯寺)
TEL:0877-47-0305 http://www.shiromineji.com 
開門7:00~閉門17:00 ※正月三が日を除く
無 無料 

坂出駅から車で約30分
琴参バス王越線高屋下車徒歩約1時間
1時間

 頓証寺殿(とんしょうじでん)
 

1191(建久2)年,不運の最期を遂げた崇徳上皇の菩提を弔うため,上皇のそばで仕えていた遠江阿闍梨章実が,上皇の御所であった鼓岡の木ノ丸殿をここに移したものといわれています。
1414(応永21)年,第百代後小松天皇が頓證寺と書かれた勅額を奉納したことから,頓証寺殿と呼ばれるようになり,また勅額をかかげた山門を勅額門と呼ぶようになりました。
現在の建物は,頓証寺殿,勅額門ともに1680(延宝8)年,初代高松藩主松平頼重により再建されたものです。

 
坂出市青海町2635 (白峯寺)
TEL:0877-47-0305 http://www.shiromineji.com 
開門7:00~閉門17:00 ※正月三が日を除く
無 無料 

坂出駅から車で約30分
琴参バス王越線高屋下車徒歩約1時間
1時間

 玉章の木
 

鼓岡で崇徳上皇が過ごしていたころ,初夏に鳴くホトトギスの声を聞いて,都を思い出し
鳴けば聞く 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす
と詠みました。ホトトギスはこれを聞き,上皇の気持ちを感じとったのか,このケヤキの大樹の葉を巻いてくちばしをさし入れ、声がもれないようにして鳴いたといわれています。
巻いた葉の形が昔の巻手紙に似ていることから,ホトトギスの落し文,または玉章(たまずさ)と呼ばれ,その葉を持っていれば,必ず良い便りがあるといわれているそうです。
この玉章の木は,樹齢八百年を越えたものでしたが,現在は枯れてしまい,新しいケヤキが植えられています。古木は,香川県五色台自然科学館に寄贈されています。

 
坂出市青海町2635 (白峯寺)
TEL:0877-47-0305 http://www.shiromineji.com 
開門7:00~閉門17:00 ※正月三が日を除く
無 無料 

坂出駅から車で約30分
琴参バス王越線高屋下車徒歩約1時間
1時間

 白峯御陵
 

1164(長寛2)年8月26日,46歳で崩御された崇徳上皇は,9月16日に白峰山の稚児ヶ嶽で荼毘に付され,陵をつくりました。これが白峯御陵で,積み石の方墳だといわれています。
江戸時代には,都から遠く離れた地であったため,荒れはてていましたが,初代高松藩主の松平頼重,五代藩主の頼恭,十一代藩主の頼聡らの手によって修復が重ねられ,現在の南に面した参拝口に改めるなど,整備されました。
現在,天皇陵は東京,近畿以外では,山口と香川にしかありません。ここ白峯御陵は,四国にある唯一の天皇陵として宮内庁が管理しています。

 
坂出市青海町2635 (白峯寺)
※天皇陵(宮内庁)の定めあり
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/index.html
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坂出駅から車で約30分
琴参バス王越線高屋下車徒歩約1時間
10分

 青海神社
 

白峰山の麓にある神社で,西行法師の道のスタート地点にもなっています。
青海神社は別名「煙の宮」とも呼ばれています。崇徳上皇の遺体を白峰山の稚児ヶ嶽で荼毘に付したときの煙が,都をしたわれてか,東の方にたなびいてここに溜まりました。これを見た春日神社の神官 福家安明が社殿を造営し,上皇の霊をお祀りしたことが,由来とされています。一説には,煙はここで輪になり,その中に天皇尊号の文字が現われ,煙の消えた後には上皇が大切にされていた玉が残ったと伝えられています。

 
坂出市青海町759
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坂出駅から車で約25分
琴参バス王越線高屋局前下車徒歩約30分 
15分

 白峰宮
 

崇徳上皇を祀るこの神社は,上皇の崩御後に,二条天皇によって社殿が建てられたと伝えられています。
上皇の遺体が八十場の清水に浸されてから,白峰山の稚児ヶ嶽にて荼毘に付されるまで,毎夜この辺りが光で照らされていたそうで,当時の社殿はその場所に建てられていたそうです。このことから「明の宮」とも呼ばれています。
その後,第八十代高倉天皇は,「讃岐院」と呼ばれていた上皇に「崇徳天皇」と追謚して,稲税を納めたといわれています。また,源頼朝も稲税を納めて,下乗の碑を建てたとされますが,当時の社殿は,残念なことに天正年間に焼失してしまいました。
現在の社殿は再建されたもので,周辺の人々から「天皇さん」の名称で親しまれています。

 
坂出市西庄町1712
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八十場駅から徒歩で約5分
30分

 稚児ヶ嶽(ちごがだけ)
 

県道五色台線を進んでいくと,目の前に100メートル余の崖が現れます。
崇徳上皇の遺体は,八十場からここ稚児ヶ嶽まで運ばれて荼毘に付されました。讃留霊王(さるれおう)に八十場の清水を奉った稚児が,この場所に飛来したとの伝説からその名があります。

 
坂出市青海町
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坂出駅から車で約25分
琴参バス王越線高屋局前下車徒歩約30分
1時間

 稚児ヶ滝
 

普段はなかなか現れることがなく,まとまった雨が降るとその姿を見ることができる幻の大滝です。
断崖絶壁から流れ落ちる稚児ヶ滝は,落差約100メートル。香川県内最大の瀑布です。

 
坂出市青海町
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坂出駅から車で約25分
琴参バス王越線高屋局前下車徒歩約30分
1時間

 天皇神社(川津東山)
 

崇徳上皇を祀った神社です。上皇はこの辺りが京都の東山に似ているといわれ,しばしば川津郷の荘園領主だった廣濱紀伊守の館に訪れ,配流の淋しさをなぐさめていたといわれています。
1167(仁安2)年 紀伊守や里人らによって,社殿が建てられ天皇神社と名付けたと伝えられています。

 
坂出市川津町2339
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坂出駅から車で約15分
琴参バス島田岡田線六反地下車徒歩約12分
15分


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