久米通賢とは
【1780(安永9)年~1841(天保12)年】
ここ坂出は,弥生・古墳時代の製塩土器が出土するなど,古くから塩に関係した地域でした。そして江戸時代,「塩の町」として坂出を築きあげた人物「久米栄左衛門」が現れます。香川の地で船かじ作り職人の子として誕生,自らを「通賢」と名乗り,経世家, 砲術家として名を馳せ,蘭学,天文,測量,軍器製造などの実学にも優れた人物でした。
1824(文政7)年,藩財政は傾き人々は貧困にあえいでいるなか,通賢は藩の財政を立て直し,人々を救おうと遠浅の坂出沖に塩田を開くことを第九代高松藩主松平頼恕(まつだいらよりひろ)に申し出ました。
1826(文政9)年,坂出墾田の普請奉行となり,3年後の1829(文政12)年,東大浜・西大浜を含む約132haの開墾に成功,約194万人を動員しました。約2万両の工費に加え,私財をも投じて尽くし,藩の立て直しをしたとされています。
坂出の多くの人々を救い,その功績は大いに讃えられこの地に名を残しました。
 
       
鹽竈神社(坂出神社) 西光寺支坊 菅原神社(阪出墾田之碑) 地神社
       
地神井戸 角山(久米翁塩見場の碑) 鎌田共済会郷土博物館 一文字堤防
       
   
坂出市郷土資料館 坂出市塩業資料館