崇徳上皇とは
【1119(元永2)年~1164(長寛2)年】
日本の第七十五代天皇で諱を顕仁といいます。鳥羽天皇と京三条烏丸の権大納言・藤原公実の息女璋子(待賢門院)の第一皇子として生まれますが,『古事談』には,白河法皇と璋子が密通して生まれた子で,鳥羽天皇に「叔父子」と呼ばれ,嫌われていたと記されています。1123(保安4)年に5歳で皇位につかれますが,1141(永治元)年,鳥羽上皇の命令により,天皇の位を近衛天皇に譲ります。1155(久寿4)年 近衛天皇が崩御され,後白河天皇が即位し,1156(保元元)年に鳥羽法皇が崩御したことで,皇位継承問題や摂関家の内紛が表面化し,保元の乱が起こります。この乱によって後白河天皇方との戦いに敗れた崇徳上皇は讃岐の地に配流され,その後二度と都の地を踏むことなく,1164(長寛2)年,46歳で崩御されます。
 
       
松山の津 雲井御所 御遊所池 岩根の桜
       
姫塚 長命寺跡 鼓岡神社(擬古堂/ほととぎす塚) 内裏泉
       
菊塚 盌塚 柳田 八十場の清水
       
高家神社 白峯寺(頓証寺殿/玉章の木) 白峯御陵 青海神社
       
 
白峰宮 稚児ヶ嶽(稚児ヶ滝) 天皇神社(川津東山)